Category Archives: 歴史

幼年李世民

November 30,2023

太宗幼聰睿,玄鑒深遠(…)時人莫能測也。(『舊唐書』太宗本紀) 隋代に沙燕風筝は存在しないと思いますが描きたかったので描きました これはまだラフですが、来年中にこういう絵が30枚くらい詰まった隋末唐初を題材にした歴史創作イラスト集が作れたらいいなという感じです 本がいつ完成するのかは(そもそも完成するのか)わかりませんが、同人誌制作の過程で一枚でもいい絵が描けたらその時点で私の勝ちというゴールポストを設定しております 完成した絵は全部サイトにアップするので見てもらえると嬉しいです 進捗はてがろぐの#威鳳賦タグにまとめています 以下はハロウィン関連の絵▽…

歴史創作人物設定シート:李世民

September 24,2023

こちらのキャラ設定シートを参考にてがろぐにアップしていた自創作の人物設定シートを新調しました (シートの改変については参考元の制作者さまに承諾をいただいてます) 文字が小さいので原寸サイズでの閲覧を推奨 楊廣と長孫皇后の分のリクエストはもうしばらくお待ちください アーカイブのまとめ 謹厳実直を勤勉実直と誤字してるけどこっちの方が李世民を言い表す言葉としては的確…

杜如晦

March 21,2023

貞観四年三月甲申(630.3.19)、尚書右僕射・萊國公杜如晦が薨去した 貞観三年、杜如晦は長孫無忌に代わって尚書右僕射となり、選事を担当し、玄齢と共に朝政を司った。 台閣の規模、及び典章、人物に至るまで、すべて二人の定めるところであり、はなはだ当代の誉れを獲得した。良相を談じる者は、今に至っても房、杜を賞賛した。 その冬に病に遭い、辞職を願い出て許されたが、禄賜は特別にそのまま授けられた。 太宗(李世民)は如晦の病を深く憂慮し、しきりに使者を使わせて病状を問い慰問をし、名医上薬が道に相望むようであった。 貞観四年、病が重篤となったため、太宗は皇太子を第に就かせ臨問させ、太宗自身もその家を訪ねて見舞いした。 如晦を慰撫して流涕し、物千段を賜い、それが終わらぬうちに如晦の子を官に任命し、ついに左千牛衛から尚舍奉御へ超遷させた。 如晦は間もなく薨去した。年は四十六歳であった。 太宗は慟哭すること甚だしく、廃朝すること三日、司空を贈り、萊蔡國公へ徙封し、諡を「成」とした。 太宗は手詔して著作郎虞世南へ言った。 「朕と如晦、君臣の義重く、不幸奄(にわ)かに物化に従う。勲旧を追念し懐に痛悼す。卿、吾が此の意を体し、為に碑文を制せよ。」と。 のちに太宗が瓜を食していると、そこで愴然とし、如晦を悼んだ。瓜の半分ほどに手をつけたが食するのをやめ、使者を遣わせて残りを如晦の霊座に備えさせた。 またあるとき玄齢へ黄銀帯を賜り、玄齢を顧みて言った。 「昔、如晦と公は心を同じくして朕を補佐した。こんにちこれを賜うところ、唯だ一人公を見るのみである。」 そこではらはらと涙をこぼし流涕した。 また「朕が聞くところによれば、黄銀は鬼神のために恐れられるという。」と言い、命じて黄金帯を用意し、玄齢を遣わせて如晦の霊所へ供えさせた。…

政務ねこ(李世民)

July 01,2022 十八学士于志寧書賛巻

政務猫 ヨシ! テカテカした塗りになってしまった サイトに「記事としての体裁はある程度整っているけどサイトからリンクを通してない、ただし公開設定にはしているのでGoogle検索やサイト内検索からヒットはする」みたいなページが多数あるんですが、最近そういうページにちらほらアクセスがあって恥ずかしいです 昭陵六駿と十驥の記事とか独立したページ作るほどのこと書いてないし… ないとは思うけどサイトから繋げてないコンテンツを万が一流用された場合厄介だな…と思ったのでnoteからリンク通しておきました 『十八史略』唐神堯皇帝 李淵 昭陵六駿と十驥 あと『旧唐書』房玄齢伝の訳を1ページにまとめました 房玄齢伝の訳の最初の更新が2017年らしいです 嘘だろ /// 書格(古書や絵画の画像を無料で閲覧・DLできるサイト)に《十八学士于志宁书赞卷》がアップされてました 《十八学士于志宁书赞卷》は巻末の題に〈龍朔二年春臣閻立本奉聖旨圖像臣于志寧奉敕恭撰贊并書〉とあり、高宗竜朔二年(662)の春に閻立本から李治に奉じられたもので、今は故宮博物院に収蔵されているらしいです この書巻には立本による人物画に併せて于志寧筆による役職・人物名・字・賛が記されており、補員の劉孝孫を含む19人の秦王府十八学士のうち、杜如晦と薛収を除く全ての学士の諱と字が記載されています リンク先画像では杜如晦の名前部分が切れていたので、こちらの《李唐十八學士眞像 唐閻立本原圖》から補完しつつ文字起こししました…

picrewの「오뱅이어」でつくった尉遅敬徳x李世民

March 27,2022 李世民、侯君集、李道宗の生年

Picrewの「오뱅이어」でつくった尉遅敬徳x李世民 可愛い 別所にメモしてた李世民、侯君集、李道宗の生年についての考察 李世民さんの生年 ・『旧唐書』太宗本紀は隋開皇十八年十二月戊午とする =旧暦598/12/22生まれ、新暦換算で599/1/23生まれ これが一般的に一番採用されてる説だと思います。日中の出版物はだいたい598年生まれ表記 うちのサイトでは新暦換算で599年生まれと表記しています (こう書いておけば617年に満年齢18歳になり、ギリギリで「太宗十八舉義兵」が成り立つから) ・『新唐書』太宗本紀は貞観二十三年(649)に五十三歳で崩御したとする =隋開皇十七年(597)生まれ? この説も古い本だと見なくはないです。韋貴妃と同じ年カップルということになる。いいじゃん ・『新唐書』太宗本紀は大業十一年(615)に16歳であったとする =隋開皇二十年(600)生まれ? ダークホースですが、谷川道雄先生の『唐の太宗』は600年説をとっています そうすると617年に数え18歳になるので「太宗十八舉義兵」が問題なく成り立ちます…

寅年李世民

January 09,2022

あけおめです 今年こそイラストまとめた本作るぞと燃えてたのに新年一発目から本に収録するには気が引ける絵を描いてしまった /// (追記) 隋末唐初で寅年生まれの人を探しました 558年(戊寅):虞世南 570年(庚寅):王珪、殷開山? 582年(壬寅):劉弘基、李密 594年(甲寅):長孫無忌、李世勣、張公謹 606年(丙寅):韓瑗 張文瓘 618年(戊寅):唐王朝 劉弘基と李勣と張公謹が寅年なのわかる感 出典不明の情報サイトに「寅年生まれの男性は情熱的で愛情表現が激しくデートの演出もロマンチック」とあったんですが李世民から息子を託せるのは君だけだ♡と言われて指を噛んで血を流して号泣泥酔したりあの世で世民に対面する用の朝服一式を副葬するよう遺言した李勣のことじゃん…と思いました 張公謹も玄武門の変の直前世民の卜の場に乱入して亀の甲羅を投げて「卜の結果が不吉だったとして今更やめられますか!」と一喝してて情熱的だし… 虞世南も「(李世民に)一言の善有れば世南未だ嘗て悦ばずんばあらず、一言の失有れば未だ嘗て悵恨せずんばあらず」で情熱的だし… 王珪も「濁を激し清を揚げ、悪を嫉み善を好むが如きに至りては、臣、数子に於て、頗る亦、一日の長あり」って言ってるから情熱的だし……

隋末唐初の人物の風貌

March 31,2021 隋末唐初の人物の風貌

隋末唐初の人物の風貌についてのメモ 新旧唐書、太平御覧、冊府元亀などから、隋末唐初の人物の風貌に関する記述を集めてみました 隋から唐初の人物の見た目について軽く調べてみると、皇帝は顔が良く、名臣は体格がいいというルッキズムのパターンが存在しているようで、面白かったです 楊廣(隋煬帝)、李淵(唐高祖)、李世民(唐太宗)は全員顔がいい。楊堅も「普六茹堅相貌非常」と言われているので風格のある顔立ちだったと見ていいと思う(同じ『隋書』文帝紀で反相って言われてますが) 体格のいい臣下は、隋では竇栄定(容貌瓌偉)、楊素(容貌雄偉)、郭栄(榮容貌魁岸)、韓擒虎(容貌魁岸、有雄傑之表)、楊玄感(體貌雄偉、美鬚髯)など(いずれも『隋書』より)、唐では裴寂(及長、疎眉目、偉姿容)、劉文静(偉姿儀)、高士廉(姿儀端偉)、李靖(靖姿貌瓌偉)、尉遅敬徳(秀岐嶷之姿)など。親戚筋の韓擒虎と李靖がどちらも体格がいいのは血を感じさせます 楊堅の父楊忠も〈美鬚髯、身長七尺八寸、狀貌瓌偉、武藝絕倫〉(『北史』隋本紀上 隋高祖文帝)とかなりのビジュアルの強さで、そんな楊忠の血を引く楊堅と独孤信の血を引く独孤伽羅が夫婦になった結果、隋皇室の人間が高確率でビジュアルに恵まれているのに気付き、こんなに遺伝子がストレートに受け継がれることあるんだ…と思いました。ダビスタの交配みたい(やったことないけどイマジナリーダビスタがそういうゲームなので…) (追記 22.03.11) 楊堅も体格良かったはずだけど出典なんだっけ…と長らく考えてたけど『資治通鑑』でした 〈太將軍楊堅姿相奇偉。【堅為人龍顏、額有五柱入頂、目光外射、有文在手曰「王」。長上短下、沈深嚴重。】〉(『資治通鑑』巻172) だそうです(【】内は胡三省の注。『隋書』は「五柱」を「玉柱」(額に盛り上がった筋肉があること)としていて、こちらが正しいのではと思う) あと蜀王楊秀は〈有膽氣、容貌瓌偉、美鬚髯〉(『隋書』文四子 庶人秀伝)でやっぱりでかい 気が向いたら文帝の子供まで調べて表に追加しておきます…