『貞観政要』巻第六論貪鄙第二十六

『貞観政要』巻第六論貪鄙第二十六より 李世民と魏徴と龐相寿



貞觀四年、濮州刺史龐相壽、貪濁有聞。追還解任。殿庭自陳、幕府舊左右、實不貪濁。太宗矜之、使舎人謂之曰、爾是我舊左右。我極哀矜爾。爾取他錢物、祇應爲貧。今賜爾絹一百匹。還向任所、更莫作罪過。
魏徴進而言曰、相壽貪濁、遠近所知。今以故旧私情、赦其貪濁之罪、加以厚賞、還令復任、相壽性識、愧恥未知。幕府左右、其數甚多、人人皆、恃恩私、足使為善者懼。
太宗欣然納之、使引相寿於前、親謂之曰、我昔爲王、爲一府作主。今爲天子、爲四海作主。既爲四海主、不可偏與一府恩澤、向欲令爾重任、左右以爲若爾得重任、必使爲善者皆不用心。今既以左右所言爲是、便不得申我私意。且放爾歸。乃雜物而遣是。相壽亦辭、流悌而去。
(『貞観政要』巻第六論貪鄙第二十六)

(訳)
貞観四年、濮州刺史の龐相寿に、貪濁であるという評判が立った。太宗は任地から追い返し解任したが、相寿は殿庭にて自ら釈明し、「私は幕府の旧臣であり、貪濁というのも事実ではございません。」と述べた。太宗は哀れに思い、舎人に命じて相寿に「汝は我が旧臣である。私はお前を非常に不憫に思う。お前が他人の銭物を取ったのは、貧困であったからに違いない。今お前に絹一百匹を与える。任所に戻り、これ以上罪を重ねることがないように。」と言った。

魏徴が進み出て言った。「相寿の貪濁は、遠近の人間が皆知っております。陛下は今故旧の私情を以てその貪欲の罪を許し、その上厚い褒美を与えて任に戻そうとなされております。相寿の性質は未だに恥じ入ることを知りません。秦王府に仕えたものは非常に多く、誰しもが恩私をあてにするようになれば、善を行うものを恐れさせるようになりましょう。」

太宗は欣然としてその言葉を受け入れ、相寿を御前に引かしめ、自ら相寿について語って言った。「私は昔、王となり、一府の主となった。しかし今は天子となり、四海の主となっている。四海の主となっているからには、偏頗に一府のものだけに恩択を与えることはできない。さきにはお前を重任しようと考えていたが、左右の近臣たちは、もしお前が重任されれば、善を為す者は必ずや心を尽くすことがなくなるだろうと思っている。今、近臣の言葉を正しいとしたからには、私は個人的な意向を出すことはできない。であるから、お前を追放し、帰らせることにした。」と。そして相寿に雑物を賜って行かせた。相寿もまた官を辞し、涙を流して立ち去った。