Tag Archives: 李淵

少年李淵、楊廣

October 31,2023

てがろぐに上げてた絵のリメイクとか 少年李淵、楊廣 紹介文は史実6割創作設定4割くらいです 幼少期李淵は厳格な母独孤氏に過度な期待と重圧を寄せられているがあまり意に介していない でも独孤氏が亡くなってからのびのびとして過ごすようになり笑顔が増える という設定があります この頃はまだ人生が楽しくなさそうですが長ずるに及んで倜儻豁達、任性真率、寬仁容眾、無貴賤咸得其歡心(『旧唐書』高祖本紀)になります こういう顔は両親の前ではしませんが李淵の前ではふつうにする 隋唐の建国者(楊堅、李淵)は前髪が奔放なオールバック、二代目(楊廣、李世民)はデコだしハーフアップという共通点があります 魏徴x李世民の概念 元ネタ↓ 魏徴の眼精疲労:晩年目の病にかかっていた(『旧唐書』魏徴伝) 馬の風船:李世民が西域から馬を買おうとして魏徴に怒られた話から(出典同上) 房玄齢と杜如晦が用意する可愛い服:台閣の規模、典章、人物に至るまで玄齢と如晦が定めたという話から(『旧唐書』杜如晦伝) 「李世民が賊を平定するたび房玄齢だけは人材を収集し秦王府へ入幕させた。謀臣猛将と結託し、彼らに死力を尽くさせた」(『旧唐書』房玄齢伝)と「房玄齢と杜如晦は台閣の規模から典章、人物に至るまでを定めた」(杜如晦伝)という話から、玄齢と如晦は臣下のやる気を引き出すために李世民に可愛い衣装を選んで着せているという設定があります 玄齢が選んで如晦が決めます 房謀杜断です…

2022年絵まとめ

December 25,2022

2022暫定まとめ(画像大きいのでクリックで拡大) 李世民と虞世南であるなしクイズ(元ネタ:○エストランド) 『貞観政要』慎所好第二十一などに見える李世民の漢武帝批判と、会田大輔「唐の太宗は『帝王略論』を読んだのか」(『明大アジア史論集』23号、2019)の「『貞観政要』や『魏鄭公諫録』に見える李世民の歴史談義と『帝王略論』を比較すると、李世民は貞観十年(636)頃まで『帝王略論』の影響を受けていた(注:李世民自身の知識や経験が豊富になるにつれ、影響力は次第に薄れたとされる)」という指摘をパッチワークしたまんが この二人に限らず唐初の官僚は基本漢武帝に批判的なんですが… 李世民の「武帝には徳が足りていない」は虞世南『帝王略論』の「(武帝は)功は余りあっても徳が不足している」という一節からです 虞世南の武帝評はこの前段ではかなりのベタ褒めなんですけど都合上カットしてます、許してください… 追記: この漫画○エストランドの漫才と同じで「漢武帝批判としては手垢のついたベタな切り口のみを取り上げて一方的にまくし立ててる」というニュアンスで描いてたんですが、twitterで一部の中国史ファンの人から「確かに武帝は徳が足りていない」「文帝はほぼ完全無欠の名君」と全肯定の受け取れられ方をして申し訳なかったです。 漢武帝に限らず李世民や一般的に評価の高い漢文帝であっても(というかシステム的に言行が綿密に記録される中国皇帝全般)悪いところだけ取り上げれば全員こういうネタ作れると思います。 漢の文帝も尺布之謠や鄧通の寵愛や薄昭の一件を持ち出されて後世批判されることもありますしね……

平陽公主

August 06,2022

唐の平陽公主 李淵の三女、李世民の同母姉。隋末の争乱期に数万の軍を率いて戦った。平陽公主の率いる軍は軍中で「娘子軍」と称された isfahanさんのブログの記事がめちゃ面白いので読んでください 娘子軍 – 積水極むべからず 李家の家系図 気がついたら吊り目−垂れ目の組み合わせばっかりになってる 李治は目元長孫氏似で垂れ目という設定です 『唐會要』巻六に李淵は平陽公主が軍功を挙げるたびに他の公主にはない特別な褒賞を与えたと書いてあってエモ…と思いました 平陽公主の葬儀に軍楽を用いたという話といい娘を一人の軍人として扱う淵パパかなりいいですね。平陽公主を独立した人間として見ているのが 一方の李世民さんは高句麗遠征の最中李治に「頭が痛くなったらすぐに言ってね、お父さんも病気になったら手紙を書くから…」という親バカな手紙を送っていた(《両度帖》) まあ李淵の下で親兄弟と揉めに揉めた李世民さんに李淵の子育てを手本にしろというのは酷な話か… サイトのサーバー契約更新してきたのでまた一年サイト運営頑張ります 閲覧してくださる方、拍手くださる方いつもありがとうございます🫶…

隋末唐初の人物の風貌

March 31,2021 隋末唐初の人物の風貌

隋末唐初の人物の風貌についてのメモ 新旧唐書、太平御覧、冊府元亀などから、隋末唐初の人物の風貌に関する記述を集めてみました 隋から唐初の人物の見た目について軽く調べてみると、皇帝は顔が良く、名臣は体格がいいというルッキズムのパターンが存在しているようで、面白かったです 楊廣(隋煬帝)、李淵(唐高祖)、李世民(唐太宗)は全員顔がいい。楊堅も「普六茹堅相貌非常」と言われているので風格のある顔立ちだったと見ていいと思う(同じ『隋書』文帝紀で反相って言われてますが) 体格のいい臣下は、隋では竇栄定(容貌瓌偉)、楊素(容貌雄偉)、郭栄(榮容貌魁岸)、韓擒虎(容貌魁岸、有雄傑之表)、楊玄感(體貌雄偉、美鬚髯)など(いずれも『隋書』より)、唐では裴寂(及長、疎眉目、偉姿容)、劉文静(偉姿儀)、高士廉(姿儀端偉)、李靖(靖姿貌瓌偉)、尉遅敬徳(秀岐嶷之姿)など。親戚筋の韓擒虎と李靖がどちらも体格がいいのは血を感じさせます 楊堅の父楊忠も〈美鬚髯、身長七尺八寸、狀貌瓌偉、武藝絕倫〉(『北史』隋本紀上 隋高祖文帝)とかなりのビジュアルの強さで、そんな楊忠の血を引く楊堅と独孤信の血を引く独孤伽羅が夫婦になった結果、隋皇室の人間が高確率でビジュアルに恵まれているのに気付き、こんなに遺伝子がストレートに受け継がれることあるんだ…と思いました。ダビスタの交配みたい(やったことないけどイマジナリーダビスタがそういうゲームなので…) (追記 22.03.11) 楊堅も体格良かったはずだけど出典なんだっけ…と長らく考えてたけど『資治通鑑』でした 〈太將軍楊堅姿相奇偉。【堅為人龍顏、額有五柱入頂、目光外射、有文在手曰「王」。長上短下、沈深嚴重。】〉(『資治通鑑』巻172) だそうです(【】内は胡三省の注。『隋書』は「五柱」を「玉柱」(額に盛り上がった筋肉があること)としていて、こちらが正しいのではと思う) あと蜀王楊秀は〈有膽氣、容貌瓌偉、美鬚髯〉(『隋書』文四子 庶人秀伝)でやっぱりでかい 気が向いたら文帝の子供まで調べて表に追加しておきます…

唐の建国(李淵)

June 25,2020 建国者

武徳元年五月甲子(西暦618年6月18日)、唐の李淵は隋の恭帝楊侑から受禅し皇帝に即位 1402年前のこの日隋が滅亡し唐が建国されました 淵パパの目にハイライトはじめて入れた気がする 背景は李昭道画《明皇幸蜀図》(台北故宮博物院蔵)の一部を拝借してます 描いた後知ったのですが、『中国画巻の研究』(古原宏伸、中央公論美術出版社 2005)によれば《明皇幸蜀図》は唐代の絵ではなく元の胡廷暉筆ではないかとのこと。どうりで唐人の宮廷画にしては上手すぎると思った 追記に最近描いた絵いくつか…