人物紹介(東・東南アジア)

隋:隋朝の皇帝・皇后 / 『隋書』列伝 / 2 / 3 / 4 / 5 / 隋末唐初の群雄
唐:唐朝の皇帝・皇后 / 凌煙閣二十四功臣 / 秦王府十八学士 / 『旧唐書』列伝 / 2 / 3 / 4 / 5
隋唐の周辺諸国:東突厥第一可汗国・西突厥 / 北アジア / 中央アジア / 東アジア・東南アジア


【高句麗】(こうぐり)

三国時代に新羅や百済と共に朝鮮半島に割拠した国家。朝鮮半島北〜中部の大部分を領土とした。隋・唐王朝と度々交戦し最後は唐の遠征によって西暦668年に滅亡した。

嬰陽王(えいようおう) / 高元(?‐618 在位:590‐618)
高句麗の第26代の王。先代平原王の長子。

栄留王 / 建武王(えいりゅうおう / けんぶおう) / 高成(?‐642 在位:618‐642)
高句麗の第27代の王。先代の嬰陽王の異母弟。642年に淵蓋蘇文が謀反を起こすと、臣下とともに殺害された。

宝蔵王(ほうぞうおう) / 高臧(?‐682 在位:642‐682)
高句麗の第28代目にして最後の王。先代の栄留王の弟の子。栄留王を弑逆した淵蓋蘇文によって王位に即けられた。

乙支文徳(いつしぶんとく)(?‐?)

淵蓋蘇文1『旧唐書』等では李淵を避諱して泉蓋蘇文と表記される。また『日本書紀』では伊梨柯須彌/伊梨柯須弥(いりかすみ)、もしくは蓋金の名で記される。(えんがいそぶん)(?2維基百科によれば603年生まれ。‐666)

淵男生(えんだんせい)(634‐679)

淵男達(えんだんたつ)(639‐701)

淵男産(えんだんさん)(?‐?)

楊萬春(ようばんしゅん)(?‐?)


【新羅】(しんら)

三国時代に高句麗や百済と共に朝鮮半島に割拠した国家。朝鮮半島南東部に位置する。朝半島北部の高句麗、半島南西部の百済との並列時代を経て、7世紀中期に半島中部以南を統一した。

真平王(しんぺいおう) / 金伯浄(?‐632 在位:579‐647)
新羅の第26代の王。中央官僚制を整えた。

善徳女王(ぜんとくじょおう) / 金徳曼(?‐647 在位:632‐647)
新羅の第27代の王であり、新羅初の女王。先代の真平王の娘で、母は金氏の葛文王福勝の娘の摩耶夫人。

武烈王(ぶれつおう) / 金春秋(きんしゅんじゅう)(603‐661 在位:654‐661)

金庾信(きんゆしん)(595‐673)

毗曇(ひどん)(?‐647)


【百済】(くだら)

三国時代に新羅や高句麗と共に朝鮮半島に割拠した国家。朝鮮半島南西部に位置する。中国南朝と密接な関係を結び、南朝文化・学問・仏教を導入して栄えた。隋の中華統一後は隋の高句麗遠征に加わるも、高句麗からの侵攻を受けた。唐は高句麗征服において百済攻略を企図し、聖王死後の百済と対立していた新羅を支援して百済を攻撃した。これによって660年に百済は滅亡し、王族や遺臣は倭国(日本)の支援を受けて百済復興を目指したが、663年の白村江の戦いにおいて敗戦し鎮圧された。唐は旧百済領の経営に乗り出したが、最終的に朝鮮半島から撤退し、百済の故地は新羅に組み入れられた。

武王(ぶおう) / 夫余璋(?‐660 在位:600‐641)

義慈王(ぎじおう) / 夫余義慈(599‐660 在位:641‐660)
先代の武王の嫡男。義慈王の代で百済が滅亡したため諡されず、諱のまま義慈王と呼ばれる。

扶余豊璋(扶余豊)(?‐?)
義慈王の子。

黒歯常之(こくしじょうし)
百済の将軍。唐に投降すると、唐の将軍として外征において重用された。


【倭国/日本】


【天竺】(てんじく)(ヴァルダナ朝)

7世紀に北インドに存在した統一王朝。創始者のハルシャ=ヴァルダナ王が仏教を保護し、唐の玄奘が仏典を求めて訪れた地。

ハルシャ・ヴァルダナ(590‐647 在位:629‐606)
ヴァルダナ朝の創始者。仏教を重んじる優れた名君であった。玄奘『大唐西域記』によれば李世民の存在を「若くして特殊な力を持ち長じては武に通じた秦王天子」と認識していた。ヴァルダナ朝の民が唄う《秦王破陣楽》を耳にしたことがあるという。


【林邑國】(チャンパ王国)


  • 1
    『旧唐書』等では李淵を避諱して泉蓋蘇文と表記される。また『日本書紀』では伊梨柯須彌/伊梨柯須弥(いりかすみ)、もしくは蓋金の名で記される。
  • 2
    維基百科によれば603年生まれ。