『貞観政要』巻第十論災異第三十九

『貞観政要』巻第十論災異第三十九より 李世民と虞世南と災異


貞觀八年、隴右山崩、大蛇屢見、山東及江淮多大水。太宗以問侍臣、秘書監虞世南對曰「春秋時、梁山崩、晉侯召伯宗而問焉。對曰『國主山川、故山崩川竭、君為之不舉、降服乘縵、祝幣以禮焉。粱山晉所主也。』晉侯從之、故得無害。漢文帝元年、齊楚地二十九山同日崩、水大出、令郡國無來獻、施惠於天下、遠近歡洽。亦不為災。後漢靈帝時、青蛇見御座。晉惠帝時、大蛇長三百步、見齊地、經市入朝中。按蛇宜在草野、而入市朝、所以可為怪耳。今蛇見山澤、蓋深山大澤必有龍蛇、亦不足怪。又山東足雨、雖則其常、然陰潛過久、恐有冤獄。宜料省系囚、庶或當天意。且妖不勝德、唯修德可以銷變。」太宗以為然、因遣使者、賑恤饑餒、申理獄訟、多所原宥。
(『貞観政要』巻第十 論災異第三十九)

(訳)
貞観八年(634)、隴右で山が崩れ、大蛇が度々現れ、山東及び江淮の地方には大水が起こった。太宗は侍臣に尋ねた。秘書監の虞世南が答えて言った。
「春秋の時代に梁山が崩れ、晋侯が伯宗を召し出してお尋ねになりました。伯宗が答えて言うには、『諸侯は領内の山川を祭る祭主となるものです。故に山が崩れ川が枯れた際には、君主は行動を慎み、衣服を質素なものとし、飾りのない車に乗り、祭官は玉帛を備えて山川に礼謝します。粱山は晋がつかさどる場所です。』と。晋侯はこの言葉に従いました。それゆえ災害は起こりませんでした。
漢の文帝の元年、斉と楚の地で二十九の山が同日に崩れ大水が出ました。文帝は郡国に勅令して献上物を奉つるのをやめさせ、恩恵を天下に施したので、遠近の国々はあまねく喜びました。これもまた災害は起こりませんでした。後漢の霊帝のとき青い蛇が天子の御座に現れ、晋の恵帝のとき長さ三百歩もある大蛇が斉の地に現れ、市を通って朝廷に入りました。考えるに蛇は草野にあるべきで、市や朝廷に入ったのは、まさに怪異であります。
今、蛇は山や沢に現れたのです。高い山や広い沢には必ず龍蛇(りゅうじゃ)がいますから、怪しむに足りません。山東に雨が多いのはその地域の常です。しかしながら陰気が長すぎるのは、おそらくは冤獄があるのかもしれません。囚人を調べ直せば天意に叶いましょう。妖は徳に勝つことはできません。ただ徳を修めることによって変異を消すことができるのです。」と。
太宗はこの進言を道理に適っているとして、使者を派遣して食糧不足の者に賑恤を与えた。また罪人の再審をしたところ、多くの者が罪を許された。