April 15,2022

映画「少林寺 4Kリマスター版」を劇場で鑑賞してきました
(公式サイト:https://shaolinji-movie.jp/
感想:生きててよかった 隋末唐初が好きでよかった
あとTwitterで「王将軍はもともと王世充だったはずなのにいつの間にか王仁則(世充の兄の王世惲の子)に変わってた」とか「李将軍が李世民なのはラストに判明しないっけ?」とか呟いてたけど冒頭のクレジットで李世民さんの名前も出てたし王将軍も王仁則とクレジットされてました。全部勘違いでしたすみません

以下ネタバレ含むオタクの気になったところの感想

少林寺感想

冒頭でこの作品は今の倫理観にそぐわない表現が出てくるが当時の価値観を尊重してそのまま上映するという旨の注意書きがあったんですが、作中で殺人=悪と明確に描写されているので人間が傷つくシーンは特に問題ないように感じました
白さん(ヒロイン。タン師父の娘)が捕縛されてるところも過度な露出などがなくてよかったです(服は破られるけど)
ただ終盤に近づくと少林寺側から悪人は殺してもいい、正当防衛なら殺してもいい、と悪人限定ではあるものの殺人を肯定するセリフがバカスカ出てきて、今の時勢も踏まえるとなかなか軽々しいメッセージだとも思いました(もともと死刑廃止論者のオタクなので余計そう感じた)

小虎(主人公)がうっかり白さんの愛犬(牧羊犬)を殺してしまい、一度は川辺に死体を埋めて隠蔽しようとするも最終的にその犬の丸焼きを師父や少林寺の兄弟子(仮)たちと一緒に食べるくだりはずっとファッ!?でした
王将軍のヤギ殺戮シーンは明確に悪の行為として描かれているのにわんちゃん過失殺害→死体隠蔽→丸焼き→みんなで肉食は一貫してコミカルなシーンとして描かれてて赤塚不二夫の漫画か?(赤塚漫画ちゃんと読んだことないけど)
死んでしまった犬の命を無駄にせずありがたくいただく…みたいなことも特に誰も言わないし
ここで作中頻出名台詞である「心に仏を持てば 酒も肉も何するものぞ」が飛び出すんだけど、この有名なシーン犬食べながら言ってたのかよと思わず心中で叫んでしまった
その帰り道にワンちゃんを探す白さんと犬の毛皮を持った小虎が鉢合わせになり白さんマジギレの大アクションシーンに発展するんだけど、ここで小虎が白さんに半ギレになるのも正直ひどくて笑いました キレる資格ない
タン師父が仲裁に入って小虎と白さんの間にいい雰囲気が漂うあたりでもうダメだ〜(ぼのぼの)
ただ小虎は父親の仇を打つため少林寺から飛び出た際に白さんを遠目に見ながら償いはすると心中で誓ったり、その後王将軍に囚われた白さんを救出したあとも白さんに犬のことを怒っていないか尋ねたりするのでいちおうは気にしていたらしいです
白さんが動物より人間の命の方が大事、といさぎよく割り切ってくれる、賢い、強い、可愛らしい、優しい、足手まといにならない、物分かりのいい“俺たちの理想の武侠少女”でよかったね

ところで白さんの愛犬はおそらくジャーマン・シェパード・ドッグで、隋末唐初にこんな犬はいないと思います
基本的に隋唐代の絵画に登場する犬はパピヨンみたいな垂れ耳長毛種の小型犬が多いです(《簪花仕女図》とかアスターナ壁画の《彩絵双童図》とか)
李重潤墓壁画の《臂鷹緤犬図》にはサルーキーのような大型犬が描かれていますが、これは鷹狩り用の犬で牧羊犬として活用されていたわけではありません
そもそもジャーマン・シェパード・ドッグは19世紀末に開発された犬種で、牧羊犬として使役される犬でもないらしい。全部間違ってるな

あと中国には古くから犬肉を食べる食文化が存在しましたが、これは六朝以降衰退し、隋唐代の人間はほぼ犬肉を食べません(桂小蘭『古代中国の犬文化:食用と祭祀を中心に』は六朝以降の仏教思想の定着や社会、経済の変化に理由求め、張競『中華料理の文化史』は遊牧文化の流入の面からの検討を行なっていますが、私は前者の説の方が正しいと思う)
『冥報記』には唐初の宗室の李寿(李神通)が飼っている鷹に常に犬肉を餌として与えていたため、因果応報により体が不自由になってしまうという説話が収録されています
『冥報記』にはこれ以外にも狩りで無数の獣を殺した将軍の娘が獣のように変わり果てしんでしまう、鷹狩を好む人間が呪われる、といった説話が収録されていて、当時の仏教においては愛玩動物に限らず動物に対する残虐な行為というのは非常に嫌悪され、報いを受けると考えられていたようです
白さんのいう「動物より人間の命の方が大事」は、サバサバしていていかにも当時の価値観っぽいけど、当時の仏教的価値観に則れば白さんの大事な愛犬を罪悪感なく食べる小虎もタン師父も門弟たちも全員罰が当たってもおかしくないと思う。ヤギを大量に殺した王将軍とその軍勢はいわずもがな