Tag Archives: 侯君集

March 31,2024

この絵サイトに上げてないと思ったけど見たことあるやつだったらすみません 開店休業状態なのに当創作の需要あるとメッセージをくださった閲覧者さま方、優し〜〜 元気を頂戴いたしました 春になったしぼちぼち歴史創作再開しますね これは少年侯君集と少年李世民さん(女装) 幼少期侯君集x李世民さんが好きで… 子どもの頃から要領が良くて機知に富んで生意気な少年侯君集くん可愛いと思います…

picrewの「오뱅이어」でつくった尉遅敬徳x李世民

March 27,2022 李世民、侯君集、李道宗の生年

Picrewの「오뱅이어」でつくった尉遅敬徳x李世民 可愛い 別所にメモしてた李世民、侯君集、李道宗の生年についての考察 李世民さんの生年 ・『旧唐書』太宗本紀は隋開皇十八年十二月戊午とする =旧暦598/12/22生まれ、新暦換算で599/1/23生まれ これが一般的に一番採用されてる説だと思います。日中の出版物はだいたい598年生まれ表記 うちのサイトでは新暦換算で599年生まれと表記しています (こう書いておけば617年に満年齢18歳になり、ギリギリで「太宗十八舉義兵」が成り立つから) ・『新唐書』太宗本紀は貞観二十三年(649)に五十三歳で崩御したとする =隋開皇十七年(597)生まれ? この説も古い本だと見なくはないです。韋貴妃と同じ年カップルということになる。いいじゃん ・『新唐書』太宗本紀は大業十一年(615)に16歳であったとする =隋開皇二十年(600)生まれ? ダークホースですが、谷川道雄先生の『唐の太宗』は600年説をとっています そうすると617年に数え18歳になるので「太宗十八舉義兵」が問題なく成り立ちます…

2020年版凌煙閣二十四功臣

November 24,2020

いい凌煙閣二十四功臣の日だったので即席で作ったまとめ /// 李世民と凌煙閣二十四功臣の兄弟姉妹をざっと調べたメモ 二十四功臣って長兄率高くない?と思って調べましたが自力で確認できる分では実際高かったです あと世民が一人っ子(?)や長兄の人に懐く率が高いという収穫を得ました 世民、次男坊で下に弟が大勢いて(李淵パパが即位後に大勢の妃嬪を抱えていたので弟妹がたくさんいる)実際には兄属性なのに、持ち前の弟属性で長男・兄属性の功臣に甘えてた節がある あと同母兄弟とは政治的に対立したのに歳の離れた異母弟たちとは関係良好だったで、自分が壊してしまったなにかを埋めようとした結果功臣に甘えたがりになったというより、もともと兄弟と仲良くできる性質だったのではと思います そもそも李建成や李元吉ともものすごく険悪だった雰囲気ではないし丹陽公主(妹)への気遣いとか半端じゃないし…そういう人が血を分けた兄弟を討たざるをえなかったのが悲劇的だけど 李世民は李靖のことを私的な場では兄と呼んで慕っていたらしいですが(『隋唐嘉話』)、おそらく太原で出会った当初からそんな関係性だったんだろうな 李世民さんが兄弟と険悪になったあとで李靖に「薬師殿のことお兄ちゃんって呼んでいい?」とか聞いてたらあまりにもつらすぎる…

史料を読む前、読んだ後

October 04,2020

史料を読む前と後 たぶん李世民、房玄齢、李世勣が一番ギャップあると思う 尉遅敬徳は当初無骨無口なイメージがあったけど今はクール無口な印象です 史料に出てくる敬徳の台詞は大抵理論的で格好いいですね。抱いて(李世民を) 李世勣、尉遅敬徳、秦叔宝、程知節は全員長命 李世民という人間を俯瞰できる人間じゃないと傍にいて長生きできないイメージがあります そういえば房玄齢も李靖も長命だ 追記にいろいろ…

長孫無忌

November 18,2019

凌煙閣二十四功臣の立ち絵の下書き 元絵が大きい分ここ半月のほとんどをこれを描くのに費やしています まだ頭身や身長の調整も残ってる この過酷なマラソンから抜け出したい 当サイトの歴史創作では功臣の身長差などは特に想定しておらず、漫画やイラストでは一律に同じ身長で描いていました 立ち絵をかきはじめたら二十四人の人間を全員同じ身長に描くのがあまりにも難しかったので、脳内イメージでなんとなく身長差が決まっていきました このあとまた調整しますが 秦叔宝=程知節>尉遅敬徳≧屈突通>段志玄=劉弘基>李靖=柴紹=李世勣>李孝恭=殷開山=長孫順徳=張亮=侯君集=張公謹=劉政会=唐倹>長孫無忌=高士廉>杜如晦=魏徴=房玄齢=蕭瑀>虞世南 くらいがいいなと思います 玄齢如晦魏徴王珪、敬徳と通、二李、張亮と君集は画面の映え的にも身長を揃えたい 李世民は虞世南をちょっと見上げるくらいの身長差だと可愛い〜…

貞観代の外征主要メンバー

May 07,2017

この表を作るためだけに牛進達のデザインを作った これだけド派手な外征事業の傍ら安定した内政を行っていた李世民政治手腕はやはり凄まじい 外敵を排除すれば国防が安定して内政に力を注ぎやすくなる、西域を統治下に置けば安定した交易が可能となり文化が栄える、相関関係があることとはいえここまで内治外征文化振興を成功させた人は中国史上でもそういないと思う ところで晩年まで全然東夷に興味なかったんだね。まあ当時の情勢からすれば西域と北方に注力する方が先だよね 追記に各外征についてのメモ…