Category Archives: 歴史

2020年版凌煙閣二十四功臣

November 24,2020

いい凌煙閣二十四功臣の日だったので即席で作ったまとめ /// 李世民と凌煙閣二十四功臣の兄弟姉妹をざっと調べたメモ 二十四功臣って長兄率高くない?と思って調べましたが自力で確認できる分では実際高かったです あと世民が一人っ子(?)や長兄の人に懐く率が高いという収穫を得ました 世民、次男坊で下に弟が大勢いて(李淵パパが即位後に大勢の妃嬪を抱えていたので弟妹がたくさんいる)実際には兄属性なのに、持ち前の弟属性で長男・兄属性の功臣に甘えてた節がある あと同母兄弟とは政治的に対立したのに歳の離れた異母弟たちとは関係良好だったで、自分が壊してしまったなにかを埋めようとした結果功臣に甘えたがりになったというより、もともと兄弟と仲良くできる性質だったのではと思います そもそも李建成や李元吉ともものすごく険悪だった雰囲気ではないし丹陽公主(妹)への気遣いとか半端じゃないし…そういう人が血を分けた兄弟を討たざるをえなかったのが悲劇的だけど 李世民は李靖のことを私的な場では兄と呼んで慕っていたらしいですが(『隋唐嘉話』)、おそらく太原で出会った当初からそんな関係性だったんだろうな 李世民さんが兄弟と険悪になったあとで李靖に「薬師殿のことお兄ちゃんって呼んでいい?」とか聞いてたらあまりにもつらすぎる…

史料を読む前、読んだ後

October 04,2020

史料を読む前と後 たぶん李世民、房玄齢、李世勣が一番ギャップあると思う 尉遅敬徳は当初無骨無口なイメージがあったけど今はクール無口な印象です 史料に出てくる敬徳の台詞は大抵理論的で格好いいですね。抱いて(李世民を) 李世勣、尉遅敬徳、秦叔宝、程知節は全員長命 李世民という人間を俯瞰できる人間じゃないと傍にいて長生きできないイメージがあります そういえば房玄齢も李靖も長命だ 追記にいろいろ…

東西突厥可汗家系図

August 04,2019

もう夏 早!光陰矢の如しすぎる このサイトも作って五年目(前身含めたら六か七)になるんですが長いな〜 もう何年も隋唐で創作してるんですが未だに隋唐と李世民への愛と興味と創作意欲は全く尽きません むしろ年々好きになっていくから不思議です たぶん一生好きです 絶賛夏休み期間なのでサイトをいじって充実させたいです 人物アイコンまた色々描きたい、特に諸外国の人たちを描きたい と思って東西突厥可汗の家系図を整理したら人間多すぎてびびりました 高祖〜太宗期の可汗に絞っても東突厥で啓民、始畢、処羅、頡利、突利、阿史那思摩、社爾 西突厥で曷薩那、射匱、統葉護、莫賀咄侯屈利俟毘、乙毘鉢羅肆葉護、呑阿婁奚利邲咄陸、彌射、沙鉢羅咥利失、乙毘咄陸、乙屈利失乙毘、乙毘沙鉢羅葉護、乙毘射匱、賀魯がいる 多…… ここに執失思力とか義成公主を入れたら25人は軽々越えそう 突厥以外の鉄勒の人たちも朝鮮三国の人たちも西域の人たちも描きたいしただでさえ幅のないキャラデザが枯渇します…

李淵李世民親子

May 06,2018

4〜5月に描いてた絵 姉たちに着せ替え人形にされて泣いて家を飛び出した李世民とそれを迎えにきた李淵パパ(長い) 流行ってるので… 李世民は死刑に該当する罪を軽減する代わりに一度肉刑(脚切りの刑)を復活させたものの甚だ後悔し、紆余曲折して肉刑を撤廃した話が新旧唐書刑法志に載っています 太宗(李世民)は即位すると、長孫無忌、房玄齢らに学士や法官と共に現行の律令を改訂するよう命じた。戴冑と魏徴が「旧来の律は刑罰が重きにすぎます」と上奏したため、絞首刑に該当する五十条を審議し、死罪を免じてその右足を切り落とすこととした。これにより、死罪となるはずの者で生命を全うする者が多くあった。 しかし太宗は、刑を受ける者の苦しみに心を悩まし、侍臣に「前代の王朝が肉刑を行わなかったことはすでに久しい。今突如として罪人の右足を断つというのは、甚だ心中忍び難いものがある」と語って言った。 諫議大夫王珪がこたえて言った。「昔肉刑があったのは、死刑に比べて軽い罪とするためです。今陛下は死刑の多いことを哀れんで、足切りの刑を設けられました。本来ならば死刑であったものが、今は生命を全うし生きながらえられるようになったのです。刑を受けるものは幸いに命を全うできているのですから、どうして足の一本など惜しみましょうか?また、人が刑を受けた者を見れば、懲誡(懲罰の恐ろしさを示すもの)として十分でしょう」と。 太宗は言った。「朕はもともと、刑罰を寛容にしようと思いこの法を行なったのだ。しかし刑罰が実行されたと聞くたびに心が痛み、それを忘れることができない。」と。 また蕭瑀、陳叔達らに言った。「朕は、死刑になったものは再び甦ることができないので、哀れみを与えようと考え、死罪にあたる五十条を右趾切りの刑に軽減したのだ。しかし今は彼らの受ける苦痛が気にかかり、到底忍び得ない」と。 陳叔達らはみな言った。「古の肉刑は、死刑の他に独立した刑として存在したのです。陛下は死罪の中から律を改訂して足切りの刑としました。これは生を以て死に変える、寛大な法ではないですか」と。 太宗は言った。「朕の思うところもそのようであったので、足切りの刑を行うようにしたのだ。しかしその後の上書には、まったく適切とは思えないものもあった。公らは改めてこの件を検討してくれ」と。 そののち、蜀王法曹参軍裴弘献が律令の時宜を得ていない四十余りについて上奏した。太宗は裴弘献にも参与させて律について再検討させた。裴弘献と房玄齢らは建議して言った。「むかし五刑があり、刖刑(足切りの刑)はそのうちの一つでありました。肉刑が廃止されるに至って、死、流、徒、杖、笞の五等を定め、これを五刑としました。今また刖足を復活させれば六刑となります。死罪を足切りに減刑するのは肝要な処置でしょうが、刑罰の種類が増えるのは、煩雑さと峻酷さを加えることになりましょう。」と。 そこで尚書八座と意見を定めて上奏した。これによって断趾の刑は廃止され、改めて加役流三千里、居作二年とした。 (『旧唐書』刑法志) 李世民さんの後悔しっぷりがすごい 李世民さんって聞き分けいいけど筋通さないといけないときは頑固なときめちゃくちゃ頑固になるところが好き…

玄甲軍漫画1

March 06,2018

字読みにく… 年に一度くらいの頻度で描く玄甲軍の装束 参考にしたのは昭陵六駿颯露紫像と『中国古代甲冑図鑑』(劉永華著、春日井明訳、アスペクト 1998)です (左:昭陵六駿颯露紫像 右:章懐太子墓(李賢王墓)壁画) 丘行恭像の矢筒についている飾りがよくわからなくて、李賢墓壁画なんかで見るような貂とかの動物のしっぽかと思ったけど確信が持てなかったので適当に描いてしまった 屈突通と尉遅敬徳の二人をよくセットで描いていますが、この二人は『旧唐書』太宗本紀の史評でまとめて紹介されています 臣の文皇帝を観るに、迹(あと)を発すること多奇、聡明神武たり。人物を抜けば則ち党に私せず、志業を負えば則ち咸(みな)その才を尽くす。屈突、尉遅の仇敵によりて心膂を傾けんことを願い、馬周、劉洎の疏遠より卒(つい)に鈞衡を委ねる所以なり。 (『旧唐書』本紀第二太宗) 屈突通はもともと隋の忠臣で、李世民以外が降した降将で、李淵に重任され李世民陣営に入りそのまま李世民の忠臣に 尉遅敬徳は隋末に劉武周の配下となり、李世民が直接降した降将で、李世民陣営からそのまま李世民の忠臣に 同じ「仇敵」でも対照的な二人ですね…

『貞観政要』より魏徴李世民

January 18,2018

〈太宗新たに位に即き、精を政道に励まし、たびたび徴を引いて臥内に入れ訪(と)うに得失を以てす。 徴雅(つね)より経国の才有り、性又抗直にして、屈撓する所無し。 太宗、之と言う、未だ嘗て悦ばずんばあらず。徴も亦知己の主に逢うを喜び、其の力用を竭(つ)くし、知りて言わざるは無し。〉 (『旧唐書』列伝第二十一 魏徴) /// 「訪(と)うに得失を以てす」「性又抗直にして、屈撓する所無し」、李世民は寝室で自分の過失や良かったことについて尋ね、魏徴は李世民に面折してはっきりと欠点を指摘した、という意味なのでこの絵とは若干趣きが異なりますが… でも『貞観政要』などを読むとこの二人はわりとほのぼのした政治問答してるときも多いですよね ところで『旧唐書』房玄齢伝の〈玄齡既遇知己、罄竭心力、知無不為。〉と同書魏徴伝の〈徵亦喜逢知己之主、思竭其用、知無不言。〉の記述が対になってることにある日ふと気が付きました 知己(李世民)と出会い心力を尽くし知りて為さざる無きの玄齢と、知己との出逢いを喜び知りて言わざる無きの魏徴 正史のこの記述はともに『貞観政要』巻二の〈玄齡既喜遇知己、遂罄竭心力。〉〈徴亦喜逢知己之主、竭其力用〉をほぼ移植しており、玄齢と魏徴が各々自分の本領で李世民を支えていたとする認識は貞観以降早期、あるいは李世民と同時代の人間にも共有されていたのかもしれません…