September 13,2017 新旧唐書蕭瑀伝を読む

こんなパンツの見え方はしませんが、パンチラが描きたかったので…
以下新旧唐書蕭瑀伝について

『旧唐書』蕭瑀伝に〈太宗以瑀好佛道、嘗賚繡佛像一軀、并繡瑀形狀於佛像側、以為供養之容。又賜王褒所書大品般若經一部、并賜袈裟、以充講誦之服焉。〉という記述があります
梁明帝蕭巋の子である蕭瑀は南梁蕭氏の仏教信仰の系譜を受け継ぎ大層な崇佛家であり、若い頃から梵行に努めたりしていたらしいのですが、李世民はそんな蕭瑀のために繍佛像、蕭瑀の絵を描かせた繍佛像、王褒の『大品般若経』の一部、袈裟を下賜していたそうです
私人として仏教を慕っていた李世民が、自分と同じく仏教を信奉する蕭瑀に親しみを感じあれやこれやをプレゼントしていた…と解釈できる記述ですが、この贈り物一覧は『旧唐書』蕭瑀伝だけに見えるものであり、『新唐書』蕭瑀伝にはこのラインナップは一切載っていません
『新唐書』は編纂に関わった宋代文人の政治思想により仏教についての記述が冷淡だと言われていますが、こういった記述の差異がまさしくそう称される所以でしょう

〈蕭瑀、字時文。高祖梁武帝。曾祖昭明太子。祖詧、後梁宣帝。父巋、明帝。瑀年九歲、封新安郡王、幼以孝行聞。姊為隋晉王妃、從入長安。聚學屬文、端正鯁亮。好釋氏、常修梵行、每與沙門難及苦空、必詣微旨。常觀劉孝標辯命論、惡其傷先王之教…〉
(『旧唐書』蕭瑀伝)

〈蕭瑀、字時文。後梁明帝子也。九歲、封新安王。國除、以女兄為隋晉王妃、故入長安。瑀愛經術、善屬文。性鯁急、鄙遠浮華。嘗以劉孝標辯命論詭悖不經、乃著論非之…〉
(『新唐書』蕭瑀伝)

ディレクターズカットがすごい
『新唐書』は簡潔な記述で書かれている史料とはいえ、仏教関連の話はごっそりカットされてる
李世民が蕭瑀にあげたプレゼント一覧だけでなく、蕭瑀が崇仏家であることも『新唐書』はほぼカットしているようです
中央研究院漢籍電子文獻で検索をかけたところ、『新書』蕭瑀伝は「佛」の文字すらもヒットせず、唯一蕭瑀が出家したいと言ったくだりにだけ「瑀好浮屠、間請捨家為桑門(…)」と書かれていました
「浮屠」は仏陀や仏寺、仏教徒など仏教関連の諸々を指す言葉で、『新唐書』は仏教を否定的に描くためにこの「浮屠」の表記を意図的に多用しているようです

そして李世民が蕭瑀に仏具を贈ったエピソードは、「李世民が仏教を受容していた」ことの表れでもあり、「李世民が蕭瑀と親しんでいた」ことの表れでもあります
皇帝が臣下にあれこれ贈り物するなんて大イベント、李世民はプレゼント魔だからわかりにくいけど普通大イベントです
それをカットするということは、『新唐書』はそもそも蕭瑀を李世民と仲良しに書きたくなかったんじゃ?という疑念が湧いてきます
李世民が洛陽を平定したとき宮城の国庫の封守を蕭瑀に任せた話も載ってないし…(オタク特有の細かすぎて伝わらない指摘)

独断による蕭瑀と李世民仲良しチェックリスト
①武徳四年に洛陽を平定した際、外戚の竇軌と並んで国庫の封守を任された(『旧唐書』太宗本紀)
②劉文静に謀叛の嫌疑がかかった際、李世民とともに文静を擁護した(『旧唐書』劉文静伝)
③李世民が雍州牧になった際、雍州都督に任じられた(『旧唐書』蕭瑀伝)
④李淵が長安の遷都を提起した際、言いだせなかったものの李世民と同様に反対した(『旧唐書』太宗本紀)
⑤玄武門の変が起きたのち、李淵に李世民を太子に立てるよう提言した(『旧唐書』隠太子建成伝)
⑥繍佛像、『大品般若経』の一部、袈裟などの仏具を贈られた(『旧唐書』蕭瑀伝)
⑦疾風勁草の詩を贈られた(『旧唐書』蕭瑀伝)
⑧74歳で李世民の行幸に随従した先で亡くなった(『旧唐書』蕭瑀伝)

が『新唐書』に載っているか確認したところ↓
① ×
② ○(『新唐書』劉文静伝)
③ ○(『新唐書』蕭瑀伝)
④ ×
⑤ ○(『新唐書』隠太子建成伝)
⑥ ×
⑦ ○(『新唐書』蕭瑀伝)
⑧ ×

およそ半分の記事が載っていないようでした
さては宋代の史官は蕭瑀x李世民を推してないな
『舊唐書』と比べると『新唐書』は蕭瑀そのものに冷淡な気がしますが、やはり仏教信者だからでしょうか?
仏教関連の記事をカットするのは欧陽脩の編纂方針的にしょうがないにしても、④は唐代政治史的にも重要なのになんでここカットしたんだろう
ちなみに司馬光『資治通鑑』は①②④⑤⑦に関しての記載があります

ということで新旧唐書の蕭瑀伝を比較して出た結論は、宋代の史官は蕭瑀×李世民を推してないでした。
ぐだぐだ長文書いてるけど漢籍電子文獻で遊んでただけです それも何時間も…

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補足
・『新唐書』は蕭瑀だけでなく宇文士及などにも批判的なので、蕭瑀だけが『新唐書』において冷淡に書かれているわけではないです
そもそも『新唐書』は李世民の仏教信仰に対しても厳しいです(太宗本紀の賛に「すごい名君なのに仏教を愛したり功績を誇るのは中材庸主の所常」と書いてる)
・ちなみに『旧唐書』蕭瑀伝は封倫、蕭瑀、裴矩、宇文士及といった「隋ー唐に渡って重用された(ないしは隋から唐への政権委譲を積極的に容認した)人物」と同じ巻にまとめられており、『新唐書』蕭瑀伝は蕭瑀、蕭華、蕭倣と「唐王朝で栄えた蕭氏一族」で一巻にまとめられています
長孫無忌伝も『旧唐書』では高士廉とともに外戚で一巻にまとめられているものの、『新唐書』では褚遂良、韓瑗といった「武后の立后に反対した忠臣」たちと一巻にまとめられており、後晋の史官と北宋の史官では立伝の方針(初唐の官僚のカテゴライズ)が大きく異なるようです