Tag Archives: 李世勣

貞観代の外征主要メンバー

May 07,2017

この表を作るためだけに牛進達のデザインを作った これだけド派手な外征事業の傍ら安定した内政を行っていた李世民政治手腕はやはり凄まじい 外敵を排除すれば国防が安定して内政に力を注ぎやすくなる、西域を統治下に置けば安定した交易が可能となり文化が栄える、相関関係があることとはいえここまで内治外征文化振興を成功させた人は中国史上でもそういないと思う ところで晩年まで全然東夷に興味なかったんだね。まあ当時の情勢からすれば西域と北方に注力する方が先だよね 追記に各外征についてのメモ…

喜怒哀楽に連動する翼善冠の耳(李世民、長孫皇后、李世勣、褚遂良)

March 27,2017

耳が連動している 喜の元ネタが最高なので書いておきます 貞観二十一年(西暦647年)、李世民は翠微殿へ御幸し、侍臣に訊ねた。 「古の帝王は、中華を平定できても戎・狄を服従させることはできなかった。朕は古人に才能では及ばないが、成功では上回っている。しかし自分ではその理由を知らない。諸公は各々率直に意見を言ってみろ」と。 群臣はみな讃えて言った。 「陛下の功徳が天地に行き渡っているので、万物がその下に入ったのです」と。 李世民は言った。 「そうではない。朕が成功したのには五つの理由がある。 一つに、古来の帝王は己より優秀な者を忌んだが、朕は人の長所を自分のもののように思う。 二つに、人には得意不得意があるが、朕は短所は見ずに長所を取る。 三つに、人主は往々に賢人を出世させれば慕われたいと思い、不肖を退けるときは谷へ落とそうとする。朕は賢者を見れば敬い、不肖の者を見れば憐む。賢人にも不肖にも各々得る場所がある。 四つに、人主の多くが正直者を憎み、陰で誅し公に殺戮することの無い時代はなかったが、朕は即位して以来正直の士と朝廷で肩を並べ、未だかつて一人も責罰を与えた者はいない。 五つに、古来から皆中華を貴び夷狄を卑しく扱うが、朕は一人これを同一に愛する。故にその種落の人間は皆、朕を父母の如く慕うのだ。この五つが朕がこんにち成功した所以だ。」と。 李世民は褚遂良を顧みて言った。 「公はかつて史官を務めていたが、朕の言葉は実を得ているか?」と。 褚遂良は言った。…

『唐會要』より砂糖自作エピ(李世民、李世勣、褚遂良)

July 25,2016 李世民と砂糖

ツイッターで上記の絵と共に 「李世民は持病持ちで『高温多湿の環境は身体に良くない』と本人が言っているのにわざわざ自分で熱のこもる厨房に立って砂糖を作っていたというのが探究心旺盛で面白い」と呟いたところ、枕流亭の管理人様がこのようなツイートを… なんか覚えがあると思ったら、自分も何か書いてた; https://t.co/kkkmAFO1IW https://t.co/4W9Wy2ERZU — NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2016年7月20日 以下枕流亭様の「『天竺熱風録』を読み解く」のページ(http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column14.html)から引用 ▼精糖法について   小説中であまり注目されないかもしれませんが、太宗が精糖法をインドに求めた話は『新唐書』に見えます。太宗が摩伽陀国(マガダ国)に遣使して「熬糖法」を取り、そこで詔を下して揚州からさまざまなサトウキビを上納させ、伝来どおりにやってみましたが、色味ともに西域のものに遠く及ばなかったといいます。   また『続高僧伝』によると、専門の匠二人と僧八人が唐にやってきています。勅命により越州でサトウキビを作らせたところ、成功したといいます。 李世民、西域に製糖法を求めるだけじゃなく、自分で手造りしただけじゃなく、わざわざ大夏の砂糖職人に砂糖を作らせてる… ひ、必死……