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『唐會要』より砂糖自作エピ(李世民、李世勣、褚遂良)

July 25,2016 李世民と砂糖

ツイッターで上記の絵と共に 「李世民は持病持ちで『高温多湿の環境は身体に良くない』と本人が言っているのにわざわざ自分で熱のこもる厨房に立って砂糖を作っていたというのが探究心旺盛で面白い」と呟いたところ、枕流亭の管理人様がこのようなツイートを… なんか覚えがあると思ったら、自分も何か書いてた; https://t.co/kkkmAFO1IW https://t.co/4W9Wy2ERZU — NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2016年7月20日 以下枕流亭様の「『天竺熱風録』を読み解く」のページ(http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column14.html)から引用 ▼精糖法について   小説中であまり注目されないかもしれませんが、太宗が精糖法をインドに求めた話は『新唐書』に見えます。太宗が摩伽陀国(マガダ国)に遣使して「熬糖法」を取り、そこで詔を下して揚州からさまざまなサトウキビを上納させ、伝来どおりにやってみましたが、色味ともに西域のものに遠く及ばなかったといいます。   また『続高僧伝』によると、専門の匠二人と僧八人が唐にやってきています。勅命により越州でサトウキビを作らせたところ、成功したといいます。 李世民、西域に製糖法を求めるだけじゃなく、自分で手造りしただけじゃなく、わざわざ大夏の砂糖職人に砂糖を作らせてる… ひ、必死……

高祖本紀の(李淵、李世民)

May 14,2016

有史世良者、善相人、謂高祖曰「公骨法非常、必為人主、願自愛、勿忘鄙言。」高祖頗以自負。 (『旧唐書』本紀第一 高祖) (訳)史世良という者がおり、人相見を善くした。 彼は高祖(李淵)に「公の骨相は非常なものであり、必ずや人主となりましょう。願わくば自愛し、この鄙言をお忘れなきよう。」と言った。 高祖はこれをもってすこぶる自負した。 太宗本紀の方↓ 高祖之臨岐州、太宗時年四歲。有書生自言善相、謁高祖曰「公貴人也、且有貴子。」 見太宗曰「龍鳳之姿、天日之表、年將二十、必能濟世安民矣。」 高祖懼其言泄、將殺之、忽失所在、因采「濟世安民」之義以為名焉。 (『旧唐書』本紀第二 太宗) ときに高祖(李淵)は岐州におり、当時太宗(李世民)は四歳であった。 ある書生が自ら人相見を善くすると申し、高祖に謁見して言った。 「公は貴人であり、また貴子を有しております」 また太宗を見て言った。「龍鳳の姿、天日の表、齢二十歳になれば、必ず世を救い民を安んじられるでしょう。」 高祖はこの言葉が外に漏れ出るのを恐れ、書生を殺そうとしたが、書生はたちまちいなくなってしまった。 これに因んで、「済世安民」の意味を込めて「世民」を太宗の名前とした。…