隋・唐初皇室簡易家系図

武川鎮軍閥を中心とした簡易版の隋・唐初の皇室家系図です
二枚目は『旧唐書』『新唐書』をもとに李淵まわりの人間関係を整理したもの

いわゆる「関隴集団論」(関隴出身者を政治的共同体とする解釈)は近年の研究で否定されており、当サイトでも関隴閥の存在や「唐初の主要官僚ポストは『関隴集団』が独占していた」とする説は支持していません
また系図内には「八柱国」の語句が登場しますが、こちらも近年の研究では唐初に創出された概念であることが指摘されています
詳しくは「唐初における『貞観氏族志』の編纂と「八柱国家」の誕生」(山下将司、『史学雑誌』111 2002)をご参照ください

主要参考:『旧唐書』、『新唐書』、『唐の北方問題と国際秩序』(石見清裕、汲古書院 1998)



おまけ 李家全員集合家系図
李孝恭の位置に違和感がありますが史料上ではここであってます