『隋唐嘉話』蘭亭序のゆくえ

唐 劉餗『隋唐嘉話』より蘭亭序のゆくえ


王右軍《蘭亭序》、梁亂出在外、陳天嘉中為僧永所得。至太建中、獻之宣帝。隋平陳日、或以獻晉王、王不之寶。後僧果從帝借搨。及登極,竟未從索。果師死後、弟子僧辯得之。太宗為秦王日、見搨本驚喜、乃貴價市大王書《蘭亭》、終不至焉。及知在辯師處、使蕭翊就越州求得之、以武德四年入秦府。貞觀十年、乃搨十本以賜近臣。帝崩,中書令褚遂良奏「《蘭亭》先帝所重、不可留。」遂秘於昭陵。
(劉餗『隋唐嘉話』巻上)

王羲之の《蘭亭序》は梁が乱れたために流出した。陳の永嘉中に僧永がこれを得て、大建中に宣帝(陳頊)に献上された。隋が陳を平定すると、ある人が晋王楊廣に献上したが、王はこれを宝としなかった。僧果がこれを借りて搨本を作った。楊廣が登極したのちも《蘭亭序》が探されることはなかった。果師の死後に弟子の僧辯がこれを得た。李世民が秦王であったときこの搨本を見て、驚喜して高値で《蘭亭》を求めたが、終に至らなかった。辯師のところに《蘭亭》があると知り、蕭翼を越州に行かせてこれを得、武徳四年を以て秦王府に入った。貞観十年、搨本十本が近臣に下賜された。世民が崩御すると、中書令であった褚遂良が「《蘭亭》は先帝の重んじる所であり、留めるべきではないでしょう」と上奏し、ついに昭陵に埋葬された。