装束メモ:玄甲軍 玄甲軍の武装メモ (18.03.04) 「隋末の戦闘で、隋の重装騎が、唐の李世民の軽装で俊敏な騎兵に翻弄され壊滅してからは、前者はすっかり姿を消してしまった。 先に触れた「昭陵六駿」も具装ではなく、考古資料によっても儀杖や鹵薄、つまり礼典の馬を除けば、具装の馬は少ない。 甚だしきは騎士でさえ、頭に幞頭を戴き、身に戦袍をまとっただけで、鎧甲さえつけていない。 これはそのまま撃毬に出場できる態勢である。武器の代わりに毬杖さえ持てば。」 (福本雅一『中国における撃毬の盛衰と撃毬図屏風について』) 拳毛騧のたてがみのカットは三花というもので、唐代では軍馬のたてがみを短く剪毛するのが流行しました 六駿のたてがみも皆このカット 三花马和五花马:https://www.chnmuseum.cn/tabid/438/InfoID/81375/frtid/285/ (18.01.21) (16.09.16) 秦王世民選精鋭千餘騎、皆皀衣玄甲、分爲左右隊、使秦叔寶、程知節、尉遲敬德、翟長孫分將之。毎戰、世民親被玄甲帥之爲前鋒、乘機進撃、所向無不摧破、敵人畏之。(『資治通鑑』巻百八十八) 世民は精鋭千餘騎を選び、皆に黒い衣服と鎧を着けさせると、これを左右の隊に分け、 秦叔宝、程知節、尉遅敬徳、翟長孫に分隊して指揮させた。 世民は戦いの度に自らも黒い鎧を身に付けて軍を率いて戦い、機に乗じて進撃し、向かう所敵はなく、敵人はこれを恐れた。 (15.05.14)
装束メモ:玄甲軍
玄甲軍の武装メモ
(18.03.04)
「隋末の戦闘で、隋の重装騎が、唐の李世民の軽装で俊敏な騎兵に翻弄され壊滅してからは、前者はすっかり姿を消してしまった。
先に触れた「昭陵六駿」も具装ではなく、考古資料によっても儀杖や鹵薄、つまり礼典の馬を除けば、具装の馬は少ない。
甚だしきは騎士でさえ、頭に幞頭を戴き、身に戦袍をまとっただけで、鎧甲さえつけていない。
これはそのまま撃毬に出場できる態勢である。武器の代わりに毬杖さえ持てば。」
(福本雅一『中国における撃毬の盛衰と撃毬図屏風について』)
拳毛騧のたてがみのカットは三花というもので、唐代では軍馬のたてがみを短く剪毛するのが流行しました
六駿のたてがみも皆このカット
三花马和五花马:https://www.chnmuseum.cn/tabid/438/InfoID/81375/frtid/285/
(18.01.21)
(16.09.16)
世民は精鋭千餘騎を選び、皆に黒い衣服と鎧を着けさせると、これを左右の隊に分け、
秦叔宝、程知節、尉遅敬徳、翟長孫に分隊して指揮させた。
世民は戦いの度に自らも黒い鎧を身に付けて軍を率いて戦い、機に乗じて進撃し、向かう所敵はなく、敵人はこれを恐れた。
(15.05.14)