辰日は哭するを忌む

「辰日不哭」の風習と、李世民と張公謹
参考:『旧唐書』張公謹伝、『貞観政要』巻第六 論仁惻第二十、白居易《七徳舞》
『中国古代の年中行事』第二冊(中村裕一、汲古書院 2010)


「貞観七年、襄州の都督張公謹卒す。上、聞きて嗟悼し、出でて次し哀を発す。有司、奏言す、陰陽の書に準ずるに、甲子、辰に在るときは、哭泣す可からず、と。此れ亦流俗の忌む所なり、と。上曰く、君臣の義は、父子に同じ。情、衷より発す。安んぞ辰日を避けんや、と。遂に之を哭す。」
(『貞観政要』巻第六 論仁惻第二十)

都「辰日不哭」の風習は南宋以降も残っており、金の宣宗が皇太子を亡くした際に李世民と同じように有司に辰日の哭を諌められて「父子至親、何可拘忌」と返す話が『金史』宣宗本紀にあります。
金が漢化していたとはいえ非漢系の王朝でも役人が皇帝に進言するほど鉄板の風習だったようです。
しかし秦漢〜南北朝代の風習が形式化したり宮廷行事に取り込まれるケースの多い唐代にあっても制度化するに至らなかったあたり、結局は「流俗の忌む所」止まりだったのは間違いないんですが…
李世民は臣僚の死と接するといつもわんわん泣いてますね