『大唐新語』巻七第十五容恕 裴玄本と房玄齢

『大唐新語』巻七第十五容恕より 裴玄本と房玄齢



裴玄本好諧謔。為戶部郎中、時左僕射房玄齡疾甚、省郎將問疾、玄本戲曰「僕射病可、須問之、既甚矣、何須問也?」有泄其言者。既而隨例候玄齡、玄齡笑曰「裴郎中來,玄齡不死矣。」(『大唐新語』巻七 第十五章容恕)

(訳)
裴玄本は諧謔を好む人であった。戸部郎中を勤めていたとき、左僕射の房玄齢が重病となった。中書省の者がまさに彼のお見舞いに向かう際、玄本は戯れて言った。「僕射が病とあれば見舞いに行くべきだが、重病であればなぜ見舞いする必要があろうか。」
その言葉を漏洩した者がおり、玄本が他の者と共に玄齢を見舞うと、玄齢は笑って言った。「裴郎中が来たとあれば、玄齢は死なないな。」