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アーカイブの絵ログページにSimpLy Galleryを導入してみました
参考にしたサイトさま:ギャラリープラグインのこと2024 – nemui
理想のギャラリーページに近づけて今のところかなり満足してます 嬉しい
タグフィルターのおかげでらくがき絵と一枚絵を区別できるようになったので、らくがきのみのログページは撤去しました

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ザ・バットマンを見た(ネタバレあり、映画ジョーカーの内容にも言及)

傑作でした
私は映画ジョーカーが全然好きじゃなく、貧困層の怒りの矛先が政治腐敗や体制にではなく富裕層に向かうところ、女性(特に黒人女性)が主人公であるアーサー(白人男性)の孤独を深める装置としてしか登場しないところ、「善と悪」は相対的なものであるという詭弁などなど映画全体にオルタナ右翼臭を感じ(しかもラストに「全てはアーサーによる露悪的なジョークです」という逃げ場を残しているのも最悪)、正直ジョーカーがウケるアメリカ社会そのものにドン引きしていたので、それらへのカウンター的な描写の多数ある愚直なヒーロー映画ザ・バットマンを見てアメリカの良心を確認して救われました
腐敗した権力や体制はクソで、ただしそれに抗うためのテロリズムや暴力や殺人は許されることではなく、白人男性と黒人女性の権力は不均衡だけれど両者は連帯でき、悪を暴力で排除するのではなく困難の中に人を助ける者こそがヒーローであり、善と悪、テロリストとヒーローはそこが決定的に違う…といったメッセージをフィルム・ノワール風の画面とエンタメ寄りの脚本で届けてくれる傑作… ウォッチメン超えてザ・バットマンがアメコミ実写映画で一番好きかもしれないです
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鑑賞

人類にSNSは早すぎた

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『老子神化―道教の哲学(シリーズ道教の世界3)』(菊地章太、春秋社 2002)
最初期の道教文献を読み解きながら、老子が人物像粉飾のフェーズを超えて宇宙の根元たる「道」そのものと同一視され、更に老子の哲学と神格化した老子が民衆(五斗米道等の反乱勢力を含む)を支える「信仰」となる過程を辿る
『老子』の語る思想がいつ、どんな人々によって受け止められ、道教の信仰がどのようにして生まれたのか。社会に抵抗した人々は『老子』に何を求め、どのような時代にどのような事情から『老子』を自分たちの原点としたのか。『老子』の思想と道教の信仰は一つか否か…という冒頭の問いの答えが畳み掛けるように紐解かれる終盤の流れがすごかったです
道教の哲学、終末思想、救世主思想とそれを選びとる民衆→信仰の誕生というのは同じ菊地先生の『儒教・仏教・道教 東アジアの思想空間』(講談社 2022)の「スモモの下で世直しがはじまる―くりかえされる予言の力」の章でも触れられていたけど、それを一冊使ってグッと掘り下げてる感じ
やっぱり菊地先生にとってここが道教のサビだったんだ…と思ったし、私もこの菊地道教観がめちゃくちゃ好き
春秋社シリーズ道教の歴史はどれも面白いのでほんとうに文庫版で出してほしい

読書

newバナー
サイトを改装して久しぶりにバナーも変えました

法藏館: 「\法蔵館文庫3月!/ 1月配本分が続々と書店様に並んでおりますが、次回配本のラインナップも確定いたしました! 次回は、 ▼牛山佳幸『〈小さき社〉の列島史』 ▼渡辺信一郎『増補 天空の玉座:中国古代帝国の朝政と儀礼』 ▼荒木浩『方丈記を読む:孤の宇宙へ』 の3本です。 ご期待ください! - X

渡辺信一郎先生の『天空の玉座:中国古代帝国の朝政と儀礼』が増補されて文庫化するそうです
渡辺先生のこの本と『中国古代の王権と天下秩序―日中比較史の視点から』(高倉書房 2003)は東洋史関連の本でも十指に入るくらい好きな本
法藏館さん一生愛します

読書

地震のあった地域に住まれている方も遠いところに住まれている方も、安全と心身の健康を最優先にお過ごしください
震災の映像やニュースを見続けるのもしんどいけど、震災のたびにSNSでマイノリティ差別・民族差別デマがバズるのを見るのはより心が疲弊する
見かけたら通報してるけど意味あるのかなーあってくれるといいけど…
しばらくSNSは適度な距離で眺めるだけに留めて絵が描けたら浮上します

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ここに書くの忘れてたけど去年最後の日記絵ログを更新してます

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あけおめです 新年が来るのっておめでとうって祝うことでもないと思うんですが
2023年は創作活動がショボショボしてたので2024年は持ち直していきたいです
なんだかんだFUDGEも今のサイトに移転してから10年だし 10年!
10年やってきたと思えないくらいコンテンツが非充実のサイトなのでどうにかしたい
2024年もFUDGEをよろしくお願いします

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>2023/12/30 23:26の方
へんふよとのことですがこちらこそ絵を見てもらえて感謝です!良いお年をお迎えください🌈

返信

2023絵まとめ
2023のまとめ
下半期ちゃんとした絵が描けなかったので来年頑張ります

東方書店さんで『唐太宗全集校注』『大唐創業起居注箋證(附壺關録)』を買った
年明け読みます

読書

2023年の読書まとめです https://fudge.mond.jp/dec2823/
東洋史に関する論文は50本弱くらいしか読めてないし少ないな…
来年は読書メモの内容をもっとしっかりめに書き残したい

読書

映画の話
2023年に見た映画含めて好きな映画40本を改訂しました
これ→https://www.neverendingchartrendering.or...

映画40本2023
見終わった後に世界に希望が持てる映画をちょっと増やした
見たばかりなので首の順位高いですが今後も上位固定だと思う

1.「羊たちの沈黙」(1990)
2.「スクリーム」(1996)
3.「NOPE」(2022)
4.「霧につつまれたハリネズミ」(1975)
5.「ふしぎの国のアリス」(1951)
6.「首」(2023)
7.「CHICAGO」(2002)
8.「ホテル・エルロワイヤル」(2018)
9.「アス」(2019)
10.「パラサイト 半地下の家族」(2019)
11.「12人の怒れる男」(1957)
12.「アメリカン・サイコ」(2000)
13.「ハードキャンディ」(2005)
14.「コックと泥棒、その妻と愛人」(1989)
15.「狩人の夜」(1995)
16.「ラストエンペラー」(1987)
17.「パルプ・フィクション」(1994)
18.「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2014)
19.「ノーカントリー」(2007)
20.「アメリカン・ビューティー」(1999)
21.「最後まで行く」(2014)
22.「8 1/2」(1963)
23.「スクリーム」(2022)
24.「スクリーム6」(2023)
25.「ムーンライズ・キングダム」(2012)
26.「聖なる鹿殺し」(2017)
27.「ヘレディタリー/継承」(2018)
28.「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」(2019)
29.「黄色いロールス・ロイス」(1964)
30.「透明人間」(2020)
31.「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」(2017)
32.「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」(2017)
33.「イット・フォローズ」(2014)
34.「シャイニング」(1980)
35.「情婦」(1957)
36.「地獄の黙示録」(1979)
37.「ラ・ラ・ランド」(2016)
38.「おしゃれキャット」(1970)
39.「何がジェーンに起こったか」(1962)
40.「ファウスト」(1994)
41.「ロッキー・ホラー・ショー」(1975)
42.「ファントム・オブ・パラダイス」(1974)
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鑑賞

首(ネタバレあり/マストドンの投稿のリユース)

日本中の首を切ってその上に自分の首を置きたい(うろ)とか死ぬ最後まで首(介錯)にこだわる信長と、甲冑姿で自ら首を切って死ぬ光秀に対して、下っ端に変装し顔に泥まで塗り影武者を多数用意し徹底して「死」を回避する家康の対比
首にこだわるのは信長光秀個人の問題じゃなくこの世界自体がそういうシステムなので、秀吉は清水宗治の「武士としての最期」にも付き合うし最後も首探しをしないといけないという滑稽さ
そして「「首」に取り憑かれた秀吉」というシャドーとして茂助がいる(秀吉は「農民出身だから武士道はわからない」というスタンスをとるが、むしろ農民出身者も武士・侍に憧れ「首」に取り憑かれ破滅するので、秀吉が特異ということも示している)という配置
北野武…天才

首は衆道・武士道的な忠義・男性同士のロマンスの境目を曖昧に描きつつ、衆道≠BL(愛)と明確に描いてるのも良かった
蘭丸・弥助が受けてるのは寵愛ではなく性暴力だし搾取、だからあのラストの説得力がめちゃくちゃ高まっている
あと武士道的な忠義を美化せず、実は内心で信長を信じ心酔してたのに手紙読んで幻想から目が覚めてしまう光秀、忠臣から謀反人に転じ村重と、忠誠心がいわゆる「愛憎」的に叛心が転じる様子を説得力を持って描いている

逆に秀吉家康サイドが「武士道」とか愛憎から距離があってカラッとしてることを考えると、男を抱く信長・光秀↔男を抱かない秀吉・女を抱こうとする家康じゃなく、忠臣を求める・武士道を追求する信長・光秀と、武士道も忠臣を求めてない秀吉・家康の対比も可能だと思う
家康は忠臣ではなく使い捨ての影武者を駆使して身を守るし(半蔵にいう言葉も「すまんな」の一言と軽い)、秀吉も臣下のことを使い捨てる気しかなく、やる気は金で引き出す
秀吉の隣にいるのは「兄者が死んだら俺が大将だな笑」(うろ)と官兵衛に言っちゃう秀長で、秀吉家康サイドには「武士道」のもたらす危うい愛憎が存在していない というように
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💭

スクリーム(2022)とスクリーム6をようやく見ました
スクリームシリーズ、最高〜

Salem - Fall Out of Love (Official Audio)

Wallows - I Don't Want to Talk (Official Video)
スクリーム(2022)のエンディング曲2曲とも好きです
7のキャスト降板の話つらいですが私はジェナ・オルテガを支持します

鑑賞

首(ネタバレあり/マストドンの投稿のリユース)

たけし秀吉かわいい
男たちの愛憎、衆道・同性愛関係性、打算、業、残酷さ、怒号、流血、スプラッター描写、「侍」「武士」に象徴されるものの滑稽さをいっぱい描いてくれてる
そして泥まみれで汚くて怖くて人がたくさん死ぬ、ロマンを徹底して排除した戦場の描写やサービス的な女体消費や男女のロマンスがないところなど「描かない」ものの選択もきちんとしておりこの取捨選択のセンスがめちゃくちゃ「今」だなと思った
あとやっぱり歴史創作のオタクとしてここまでやっていいんだ…とかこういうこともやっていいんだ…という種類の感動があり、魂の一部がこの映画を見て成仏した
総括:サンキュー北野武、フォーエバー北野武

あとすでにありそうな考察だけど首の天下人脱落ダービー、
人の命も体もおもちゃのように扱い最後も首を切ること(介錯)に固執して死ぬ信長
常識人に見せかけて家で蘭丸や信長に仮装させた男たちを撃ち殺して憎しみを発散させ、村重も殺し、最期も「武士らしく」甲冑姿で首を切って死ぬ光秀
信長や光秀のような残虐ショーはやらないし清水宗治の「武士としての最期」に馬鹿馬鹿しさを覚えている、けど下っ端を使い捨てにする(腹心の官兵衛すら「まあ俺も助けなかったけどな笑」な)秀吉(でも首なんかどうだっていいんだよ!が言える)
謀殺しようとしても死なずに、忍びの者(半蔵)にも「半蔵、すまんな😞 」と苦労をねぎらえる、無数の影武者を用意し自分の死体=首の価値すらを曖昧にする家康
の順なのではと思った
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鑑賞

絵文字いっぱいありがとうございます
お気遣い痛み入ります。𝙃𝙐𝙂…

💭

>2023/12/17 9:39の方
返信不要とのことですがありがとうございます🙏
常時怠惰なんですけどしばらくは今以上にのんびりします

返信

九月、十月、十一月の読書
全然本読めてないのでまとめて書きます

『仙境往来―神界と聖地(シリーズ道教の世界1)』(田中文雄、春秋社 2002)
道教の全体像を内容や周辺文化から解説する「道教の世界」シリーズのうち、「道教の神界と宇宙観」(コスモロジー)について読み解く巻
神仙世界、聖地、名山、天、地獄、肉体の宇宙、儀礼空間についての情報を網羅していて、中国古来の世界観を学べる
「『抱朴子』と聖地」の章が好きです

『道法変遷―歴史と教理(シリーズ道教の世界2)』(山田利明、春秋社 2002)
「道教の世界」シリーズのうち「教理と歴史」(ヒストリー)について読み解く巻で、シリーズの総括的な本
道教に関する概説書にも良書が沢山あるけれど、入門書としては今まで読んだなかでもこれが一番くらいにいいです
道教教団登場以前の神仙思想や老子、荘子と道教の関係、後漢における道教教団の出現と、現代に至るまでの各王朝における教法、信仰、教団の変遷が概観でき、道教周辺の思想や信仰、文化についても紹介していて気が利いてます
後漢〜唐までは道教教団を主体としてた道教が、北宋以降は民間信仰が主になっていく様子が特に興味深かったです
北宋以降は交通網が整備されているので、地方でのみ名が知られた神も瞬く間に噂になって全国区から礼拝者が訪れるようになる。そんな風に民間で信仰される地方神を、道教界はちゃっかり道教の神に認定する(ちゃんとした手続きは踏む)
たとえば道教とはまったく関係なく、ある土地だけで祀られていた村の功労者がいたとして、それを聞き及んだ道士がその祠に「この人物ことまことの仙人であり、今ではその功績によって天上界で神君と称されている」などと書いた石碑を立てれば、その人は立派な道教神になったことになる。らしい
これを聞いた県の知事が参拝すれば知事公認の道教神となり、知事が参拝する頃には地元の役人によって祠は立派に修繕され、知事の上奏で皇帝がその神を知れば、皇帝は祠を大々的に改築し、廟なんかも立てちゃったり、神号なんかも賜っちゃったりして、村の守護神が国家公認の神になったりするらしい。草。いい意味で面白い
そんな感じで道教の神は増えても減ることはないので、中国はどんどん道教道教していく
中村裕一先生が『中国古代の年中行事』に「隋唐の年中行事は道教の神々関連のイベントが少ないのが特徴。宋元明清は道教関連の行事がめちゃある。だから隋唐と北宋以降は時代の雰囲気が異なる」ということを書いてて、まあなんとなくわかると思ってたんだけど、この本を読んだらこれか!と思った
唐までは道教道教してない。北宋以降はめちゃ道教道教する。この差が肌感で分かったのは嬉しい

『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』(松下憲一、講談社 2023)
twitterのTLで文体が軽いページの引用が流れてきてめちゃくちゃ警戒して読んだんですが、少なくとも隋唐代に関しては堅実な内容です
ネタに走ってる部分も全然講談社メチエの範疇内だと思う
隋唐のルーツが北朝にあることから、隋唐朝に過度に「北方的」な傾向を見出す拓跋国家論も、「中国に入ると北方の文化や民族もすべて漢化する(させられる)」のようなことさら「胡人/胡文化の漢化」を強調する論もどっち極端すぎて、隋も唐もそういった二元論で説明できるほど単純な時代じゃなくね?とモヤモヤしてたので、北朝隋唐について扱ったこの本が真っ当な内容だったのは嬉しい
鮮卑拓跋は中華文明を破壊したわけでも、それに飲み込まれたわけでもなく、「中華」を新しく変容させ、彼らが生み出し、あるいは作り替え、あるいは受け継いでいったものが、隋唐王朝にとっての「中華」であった、というのがも〜〜めちゃくちゃエモい
この時代について中華vs遊牧(鮮卑拓跋)という二項対立を排除し、俯瞰的にかつダイナミックに歴史の流れを書いているのがとにかく良かったです
文章も読みやすいしネタに走りすぎてもないし
正直どう書いても褒めたりないんだが…
ただ一個だけこの本と同先生の「后妃のゆくえ 北斉・北周の後宮」を読んで気になったのは、唐代で一番レヴィレート婚っぽい事例はおそらく李淵の後宮で最も寵愛されていた張婕妤、尹徳妃と李建成、李元吉が内通していたという話だと思うので(隠太子建成伝)、この事例についても取り上げてほしいかったってことですね
張婕妤、尹徳妃は李淵の後宮で最も寵愛され、親戚たちは宮府に務めており、李建成、李元吉と通じて李淵に李世民を讒言したため、李淵は世民を立太子する意思を無くした、というのがおおまかな内情なんですが、司馬光先生は私通については宮中の深秘であり真相はわからないとしているものの(資治通鑑190)、当時の政治状況や双方の立場、胡習の浸透具合などを踏まえると、私通関係にあったという記述もレヴィレート婚的な観点から検証されるべきと思います
これほんと指摘とかじゃなくて将来的に松下先生が北朝隋唐のレヴィレート婚についてまた何か書くならにこの件について検証してほしいという願望です
というか李淵の後宮とか張婕妤とか尹徳妃とか李建成とか李元吉についてレヴィレート婚的な観点から検証してる論文が今までないのがおかしいと思ってるので…ほんとう…

『アジア・中東の装飾と文様』(海野弘、パイインターナショナル 2023)
「アジア・中東」ってどういう射程??非ヨーロッパ圏を雑に括ってない?と思ったんですが、「シルクロードを通じて互いに影響しあったユーラシア大陸の王朝や地域」は全部射程です
というかシルクロードの終着地であるローマとかヨーロッパまでもちょっと含んでる
第一章ではシルクロードを通じて共鳴しあう文様たちが、第二章では西アジア、中央アジア、インド、中国各地の装飾文様の歴史が学べ、文様史の「縦の歴史」と「横の歴史」を抑えている良書です
写真も建築、服飾、装飾品、絵画などバランスよく掲載しているしブックデザインも洗練されてます
アジア文様史本で突如登場した良書って感じ
おすすめです
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読書

小島浩之「中国における記録媒体の変遷再考:文書料紙を中心として」
文書料紙を中心に、中国における記録媒体の変遷を考察した論文
唐貞観代に制勅に使われていた紙について、読む本によって唐初から黄麻紙を使っていた説と貞観代までは白紙で高宗(李治)期から防虫処理が施された黄紙を使っていた説と載っていて謎だったのですがこれを読んだら解決しました
(長文引用なので畳む)

文書への紙の普及が進む一方で、故事や伝統を尊ぶような部分には竹簡、絹布、石の使用が残るという逆転現象も見られるようになった。たとえば次の史料は唐代(609~907)における皇帝下達文書(王言)の料紙を規定するものである。
いま、冊書には竹簡を使用し、制書・慰労制書・発日勅には黄麻紙を使用し、勅旨・論事勅書および勅牒には黄籐紙を使用する。赦書は諸州に頒下するのに絹を使用する。
このように、記録媒体が完全に紙に置き換わった唐代でも、公文書の記録媒体として竹簡や絹布が使われているのである。史料の中で竹簡の使用が規定されている冊書は、唐朝において最も格式の高い重要な王言であり、より具体的には封冊(竹簡)、祝冊(木版)、即位冊・哀冊・諡冊・封禅冊・公主冊(玉)など、実際は種類によって竹材、木材、石材が使い分けられていた。また皇帝の特別の恩寵である恩赦の詔は、絹布に書かれて中央から発信された。紙の薄さは、偽造しにくいという点では長所となり文書の信用を高める効果があった。しかし、逆に破れやすいという点では短所となり、その格式と内容の永久性を担保する必要から冊書には堅固な竹や木や石を、皇帝の徳を称揚し罪人の生死を左右する重要性から恩赦の詔には破れにくい絹布を、それぞれ使う必要があったのである。
また、紙は虫など生物による被害を受けやすく、これは昔も今も情報の保存という点において深刻な問題となっている。上元三年(676)閏三月の詔には、
制勅の施行に関しては、すでに恒久的な規則が定められており、昨今では白紙が使用されているが、虫害が多発している。これより、尚書省が諸司・諸州に頒下する制勅や州が県に下す制勅は、みな黄紙を使用せよ。制勅を受領した官府は、内容を斟酌した上で巻子に仕立て、内容の確認や検査に備えよ。
とあって、皇帝の命令書である制(詔)や勅に白紙(染色していない白い紙)を使用していたところ、虫害が多発して、虫除けのために黄色に染色した紙に変更を余儀なくされたという。唐代の公文書は、差出と充所の上下関係により下行・上行・平行の 3 種があり、これらは、官府にあって常行される官文書、制勅など皇帝からの命令の王言、奏抄など皇帝の回答を必ず伴う「皇帝上呈文書」などに細分される。唐朝では、貞観十年(636)に初めて制勅に黄麻紙が使用されるようになり、上元三年に改めて黄紙使用の命令が出されていることから、制勅の料紙は「白紙(唐初)→黄紙(貞観十年)→白紙→黄紙(上元三年)」と変遷しているように受け取れる。もしくは、唐初から元三年までは黄白が混在して使われつつも、白紙が優勢であったと考えるべきかもしれない。

主要な記録媒体が簡牘から紙へと完全に切り替わった唐代において、皇帝下達文書の主要な料紙は黄麻紙と黄籐(藤)紙であった。麻紙は藤紙より歴史的にも古く質も良い格上の紙であり、文書の重要度と料紙の種類には相関関係が見出される。ただし、皇帝下達文書の中でも特殊な冊書は竹・木・玉といった前時代の記録媒体を引継ぎ、恩赦の制書である赦書は州への頒下までは絹布が、州から県へは黄紙が使用され、官僚の辞令書である告身には制勅の基本料紙である麻紙に装飾を施したものが使用されていた。唐代の公文書は、汎用的用途のものと専用的用途のものに二分でき、制度の変更や拡張、政治体制の変化によって、汎用的な文書から必要に応じて限定型・専用型などの文書が生み出されていったと考えられる。赦書は制書の用途を限定したものであり、告身は制勅奏抄の専用型とみなせるだろう。これらの料紙が汎用的な制勅と異なることからは、文書の機能や用途と料紙の種類の間にはある種の相関関係があると推測し得る。
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あ、ありがた情報〜〜
唐の公文書で使用されていた紙についてだけではなく唐代の文書行政についても学べて勉強になりました
唐代の公文書に使われた紙については同先生の「唐代公文書体系試論 中国古文書学に関する覚書(下)」に詳しいらしいので、そちらも読んでみようと思います

読書

私の描くBLcpはすべて祈りのもとに成り立っているのですが特に房玄齢x李世民と李世勣x李世民には神の祝福があるよう心から願っています
房玄齢x李世民と李世勣x李世民は私が幸せにする
そういう気概のもと創作しております

歴史創作

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wip 李世民
これまだラフなんですがいい感じに描けたのでモチベ上げのためにtwitterにもmastodonにもあげてしまいました(懺悔)
#李世民 #威鳳賦

楊廣x李世民というcp自体は好きなんですが、古代中国という時代背景があっても権力者が少年少女を性的に搾取する構図がだいぶきついので(当然李世民さんが14歳の武照を後宮に入れてるのもきっつ…と思う)、今後この二人を肉体関係のあるcpとして描くかというとかなり微妙です
でもドラマ开创盛世のように李世民さんが青年ビジュだと心理的ハードルが下がりありありのありになってしまう
どうあがいても李世民さん18歳以下の時点でよくないのだが

竇琮伝の李世民さん枕営業疑惑記述(17歳ごろの李世民が李淵の挙兵のために遊侠たちにへりくだって尽くして寝室を出入りしており、それを見て李世民さんとの間に憾みのあった竇琮も意志を理解したという話)も年々つらくなってきてます
この枕営業疑惑記述に関してはBL的な萌えは一切なく、李世民さんに自分を大事にしてほしい私と史料の記述と李世民さんの性格からして枕営業してる可能性を否定できない私による葛藤があるというのみ
でも竇琮伝の記述を採用すると物語的に最初に李世民を仕込んだのが楊廣であった方が収まりがいいので(収まりがいいので…)自動的に楊廣x李世民(17歳以下)の肉体関係が成立してしまうバグが起きます
宇文邕(北周武帝)が姪の竇氏を養育したように皇帝が親族を宮中で養育するのはあることだし、『隋書』煬帝本紀下に楊廣が後宮で少年に宮女たちと淫猥な行為をさせていたという話があるから別にぶっ飛んだ設定でもないし…(この逸話自体はぶっ飛んでるが)
少年時代に一目惚れした竇氏と瓜二つの李世民を見ての衝動と李淵への嫌がらせ目的で李世民を可愛がる楊廣は見たすぎるので、「李世民さんには楊廣の後宮で養育され女装させられていた時期がある」という裏設定だけは採用しようと思います

歴史歴史創作

李世民600年生まれ説をとるとこうなる↓
隋文帝開皇八〜九年(588~589):楊廣が陳討伐で総帥を務める。当時19歳〜20歳
隋文帝開皇二十年(600):太子楊勇が廃位され楊廣が立太子される。武功県にて李世民が生まれる。楊廣31歳、李世民0歳
隋文帝仁寿三年(603):李淵が書生の予言を受け李世民を「世民」と改名。楊廣34歳、李世民3歳
隋文帝仁寿四年(604):文帝が崩御し、楊廣が即位する。楊廣35歳、李世民4歳
隋煬帝大業九年(613):第二次高句麗遠征に際して楊玄感が反乱を起こし、遠征が頓挫。李世民と母竇氏は高句麗遠征に従軍する李淵に随伴して涿郡におり、病を得た竇氏を李世民が看病していたという(『冊府元亀』巻27)。この年6月に楊玄感の乱が起き、その前月の5月1日に竇氏が死去している(『大唐六典』巻四)。楊廣44歳、李世民13歳
隋煬帝大業十一年(615):楊廣が雁門において突厥に包囲され、李世民が募兵に参加し雲定興に煬帝救出の献策を行う。突厥を撤退させるのに成功したが、この際に恩賞が払われず、また再度高句麗遠征が企図されたため、将士はみな噴怨したとしたという。谷川道雄先生は『長安の春秋』で、これを李世民が隋を見限った契機としている。楊廣46歳、李淵47歳、李世民15歳

『旧唐書』および『新唐書』太穆皇后竇氏伝によれば、李淵が扶風郡太守を務めていたとき、駿馬を数頭有していた。竇氏は「上(煬帝)が鷹馬を好むのは唐公も知るところです。献上すべきであり、長く所有するのはいけません。人に告げ口されれば身に禍いもありましょう。願わくばよくお考えください」と言った。李淵はこれを聞かなかったが、のちに連座によって譴を受けた。幾ばくもなく竇氏は涿郡で亡くなり、年は四十五歳だった。
李淵はのちに隋の政治が乱れ、みだりに処刑が行われるのを見、自らの安泰を図るため、楊廣へたびたび鷹犬や珍しい馬を献上した。煬帝は喜び、李淵を将軍に抜擢した。李淵は諸子たちへ、「早くにお前たちの母の言うことを聞いていれば、もっと長くこの官にいれただろう」と涙して言った。
『旧唐書』高祖本紀によれば李淵は隋煬帝大業十二年(616)に右驍衛将軍となっており、将軍職はこれを指すと思われる。楊廣47歳、李淵50歳、李世民16歳のこと

歴史歴史創作

ここで語っていた李世民さんの生年ですが、『新唐書糾謬』巻四 太宗紀享年差三歳は「『新唐書』虞世南伝で太宗本人が〈吾年十八舉義兵〉と語っており、また太宗本紀で煬帝を雁門で救出した大業十一年(615)当時に十六歳(満15歳)であるならば庚申(西暦600年)生まれで疑いはなく、本紀が享年を五十三歳とするのは誤りである」としていました
大抵の書籍や論文でも李世民の生年を598年とするのが多いなかで、谷川道雄先生『唐の太宗』は珍しく600年生まれ説をとっているのですが、「楊堅が太子楊勇を廃位し楊廣を立太子したのと同年に世民が生まれた」という小説的記述も実際にあるかもしれないと思うと自創作でも600年生まれ説を採用したくなってきました

歴史歴史創作

wip 李世民
没るかもなラフ
#李世民 #威鳳賦

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