カテゴリ「歴史創作」[104件]
楊廣x李世民というcp自体は好きなんですが、古代中国という時代背景があっても権力者が少年少女を性的に搾取する構図がだいぶきついので(当然李世民さんが14歳の武照を後宮に入れてるのもきっつ…と思う)、今後この二人を肉体関係のあるcpとして描くかというとかなり微妙です
でもドラマ开创盛世のように李世民さんが青年ビジュだと心理的ハードルが下がりありありのありになってしまう
どうあがいても李世民さん18歳以下の時点でよくないのだが
竇琮伝の李世民さん枕営業疑惑記述(17歳ごろの李世民が李淵の挙兵のために遊侠たちにへりくだって尽くして寝室を出入りしており、それを見て李世民さんとの間に憾みのあった竇琮も意志を理解したという話)も年々つらくなってきてます
この枕営業疑惑記述に関してはBL的な萌えは一切なく、李世民さんに自分を大事にしてほしい私と史料の記述と李世民さんの性格からして枕営業してる可能性を否定できない私による葛藤があるというのみ
でも竇琮伝の記述を採用すると物語的に最初に李世民を仕込んだのが楊廣であった方が収まりがいいので(収まりがいいので…)自動的に楊廣x李世民(17歳以下)の肉体関係が成立してしまうバグが起きます
宇文邕(北周武帝)が姪の竇氏を養育したように皇帝が親族を宮中で養育するのはあることだし、『隋書』煬帝本紀下に楊廣が後宮で少年に宮女たちと淫猥な行為をさせていたという話があるから別にぶっ飛んだ設定でもないし…(この逸話自体はぶっ飛んでるが)
少年時代に一目惚れした竇氏と瓜二つの李世民を見ての衝動と李淵への嫌がらせ目的で李世民を可愛がる楊廣は見たすぎるので、「李世民さんには楊廣の後宮で養育され女装させられていた時期がある」という裏設定だけは採用しようと思います
でもドラマ开创盛世のように李世民さんが青年ビジュだと心理的ハードルが下がりありありのありになってしまう
どうあがいても李世民さん18歳以下の時点でよくないのだが
竇琮伝の李世民さん枕営業疑惑記述(17歳ごろの李世民が李淵の挙兵のために遊侠たちにへりくだって尽くして寝室を出入りしており、それを見て李世民さんとの間に憾みのあった竇琮も意志を理解したという話)も年々つらくなってきてます
この枕営業疑惑記述に関してはBL的な萌えは一切なく、李世民さんに自分を大事にしてほしい私と史料の記述と李世民さんの性格からして枕営業してる可能性を否定できない私による葛藤があるというのみ
でも竇琮伝の記述を採用すると物語的に最初に李世民を仕込んだのが楊廣であった方が収まりがいいので(収まりがいいので…)自動的に楊廣x李世民(17歳以下)の肉体関係が成立してしまうバグが起きます
宇文邕(北周武帝)が姪の竇氏を養育したように皇帝が親族を宮中で養育するのはあることだし、『隋書』煬帝本紀下に楊廣が後宮で少年に宮女たちと淫猥な行為をさせていたという話があるから別にぶっ飛んだ設定でもないし…(この逸話自体はぶっ飛んでるが)
少年時代に一目惚れした竇氏と瓜二つの李世民を見ての衝動と李淵への嫌がらせ目的で李世民を可愛がる楊廣は見たすぎるので、「李世民さんには楊廣の後宮で養育され女装させられていた時期がある」という裏設定だけは採用しようと思います
李世民600年生まれ説をとるとこうなる↓
隋文帝開皇八〜九年(588~589):楊廣が陳討伐で総帥を務める。当時19歳〜20歳
隋文帝開皇二十年(600):太子楊勇が廃位され楊廣が立太子される。武功県にて李世民が生まれる。楊廣31歳、李世民0歳
隋文帝仁寿三年(603):李淵が書生の予言を受け李世民を「世民」と改名。楊廣34歳、李世民3歳
隋文帝仁寿四年(604):文帝が崩御し、楊廣が即位する。楊廣35歳、李世民4歳
隋煬帝大業九年(613):第二次高句麗遠征に際して楊玄感が反乱を起こし、遠征が頓挫。李世民と母竇氏は高句麗遠征に従軍する李淵に随伴して涿郡におり、病を得た竇氏を李世民が看病していたという(『冊府元亀』巻27)。この年6月に楊玄感の乱が起き、その前月の5月1日に竇氏が死去している(『大唐六典』巻四)。楊廣44歳、李世民13歳
隋煬帝大業十一年(615):楊廣が雁門において突厥に包囲され、李世民が募兵に参加し雲定興に煬帝救出の献策を行う。突厥を撤退させるのに成功したが、この際に恩賞が払われず、また再度高句麗遠征が企図されたため、将士はみな噴怨したとしたという。谷川道雄先生は『長安の春秋』で、これを李世民が隋を見限った契機としている。楊廣46歳、李淵47歳、李世民15歳
『旧唐書』および『新唐書』太穆皇后竇氏伝によれば、李淵が扶風郡太守を務めていたとき、駿馬を数頭有していた。竇氏は「上(煬帝)が鷹馬を好むのは唐公も知るところです。献上すべきであり、長く所有するのはいけません。人に告げ口されれば身に禍いもありましょう。願わくばよくお考えください」と言った。李淵はこれを聞かなかったが、のちに連座によって譴を受けた。幾ばくもなく竇氏は涿郡で亡くなり、年は四十五歳だった。
李淵はのちに隋の政治が乱れ、みだりに処刑が行われるのを見、自らの安泰を図るため、楊廣へたびたび鷹犬や珍しい馬を献上した。煬帝は喜び、李淵を将軍に抜擢した。李淵は諸子たちへ、「早くにお前たちの母の言うことを聞いていれば、もっと長くこの官にいれただろう」と涙して言った。
『旧唐書』高祖本紀によれば李淵は隋煬帝大業十二年(616)に右驍衛将軍となっており、将軍職はこれを指すと思われる。楊廣47歳、李淵50歳、李世民16歳のこと
隋文帝開皇八〜九年(588~589):楊廣が陳討伐で総帥を務める。当時19歳〜20歳
隋文帝開皇二十年(600):太子楊勇が廃位され楊廣が立太子される。武功県にて李世民が生まれる。楊廣31歳、李世民0歳
隋文帝仁寿三年(603):李淵が書生の予言を受け李世民を「世民」と改名。楊廣34歳、李世民3歳
隋文帝仁寿四年(604):文帝が崩御し、楊廣が即位する。楊廣35歳、李世民4歳
隋煬帝大業九年(613):第二次高句麗遠征に際して楊玄感が反乱を起こし、遠征が頓挫。李世民と母竇氏は高句麗遠征に従軍する李淵に随伴して涿郡におり、病を得た竇氏を李世民が看病していたという(『冊府元亀』巻27)。この年6月に楊玄感の乱が起き、その前月の5月1日に竇氏が死去している(『大唐六典』巻四)。楊廣44歳、李世民13歳
隋煬帝大業十一年(615):楊廣が雁門において突厥に包囲され、李世民が募兵に参加し雲定興に煬帝救出の献策を行う。突厥を撤退させるのに成功したが、この際に恩賞が払われず、また再度高句麗遠征が企図されたため、将士はみな噴怨したとしたという。谷川道雄先生は『長安の春秋』で、これを李世民が隋を見限った契機としている。楊廣46歳、李淵47歳、李世民15歳
『旧唐書』および『新唐書』太穆皇后竇氏伝によれば、李淵が扶風郡太守を務めていたとき、駿馬を数頭有していた。竇氏は「上(煬帝)が鷹馬を好むのは唐公も知るところです。献上すべきであり、長く所有するのはいけません。人に告げ口されれば身に禍いもありましょう。願わくばよくお考えください」と言った。李淵はこれを聞かなかったが、のちに連座によって譴を受けた。幾ばくもなく竇氏は涿郡で亡くなり、年は四十五歳だった。
李淵はのちに隋の政治が乱れ、みだりに処刑が行われるのを見、自らの安泰を図るため、楊廣へたびたび鷹犬や珍しい馬を献上した。煬帝は喜び、李淵を将軍に抜擢した。李淵は諸子たちへ、「早くにお前たちの母の言うことを聞いていれば、もっと長くこの官にいれただろう」と涙して言った。
『旧唐書』高祖本紀によれば李淵は隋煬帝大業十二年(616)に右驍衛将軍となっており、将軍職はこれを指すと思われる。楊廣47歳、李淵50歳、李世民16歳のこと
ここで語っていた李世民さんの生年ですが、『新唐書糾謬』巻四 太宗紀享年差三歳は「『新唐書』虞世南伝で太宗本人が〈吾年十八舉義兵〉と語っており、また太宗本紀で煬帝を雁門で救出した大業十一年(615)当時に十六歳(満15歳)であるならば庚申(西暦600年)生まれで疑いはなく、本紀が享年を五十三歳とするのは誤りである」としていました
大抵の書籍や論文でも李世民の生年を598年とするのが多いなかで、谷川道雄先生『唐の太宗』は珍しく600年生まれ説をとっているのですが、「楊堅が太子楊勇を廃位し楊廣を立太子したのと同年に世民が生まれた」という小説的記述も実際にあるかもしれないと思うと自創作でも600年生まれ説を採用したくなってきました
大抵の書籍や論文でも李世民の生年を598年とするのが多いなかで、谷川道雄先生『唐の太宗』は珍しく600年生まれ説をとっているのですが、「楊堅が太子楊勇を廃位し楊廣を立太子したのと同年に世民が生まれた」という小説的記述も実際にあるかもしれないと思うと自創作でも600年生まれ説を採用したくなってきました
>2023/9/28 16:36
>李世民さんにトリックオアトリートされた魏徴さんの反応が見たいです……!
リクエストありがとうございました🫶
全然リクエストに応えてない魏徴(→)←李世民漫画です
・魏徴の喉飴と貞観朝廷飲食事情
中国では日の出から朝政がはじまるため、朝食を取らずに登朝する官吏が多かった。貞観四年(630年)、李世民はこの問題を解消すべく、朝政のあとに臣下が食事をとる「廊下食」を設置した(『唐会要』巻24)
という話から朝廷で飲み食いできるなら魏徴がのど飴舐めててもいいかなと思いました 実際喉は酷使してるし
飴にモデルはないですがどうも魏徴は辛党らしいので(信憑性は微妙だが酒造りの逸話があり、酒の肴としてよく食べられていた醋芹(芹の酢漬け)が好物だったという話が『龍城録』にある)、龍角散とか生姜飴とか李世民が全然好きじゃない味のものを愛用していると思います
李世民さんははちみつ金柑とかミルクのやつじゃないんだ…と思いながら夜我慢して舐めることに…
ちなみに廊下食では天子が臣下と一緒に食事を取ることもあったらしいです。天子が朝から晩まで政務に励む様子を旰食宵衣(薄暗いうちから起きて服を着、夜遅く食事をとるの意)と形容しますが、李世民さんはご飯ちゃんと食べるし食べさせる派
・鴻臚寺の飴
鴻臚寺は唐の九寺のひとつで、賓客(外蕃国からの使者)の接待や凶儀(葬礼)を掌握する官署
飴は唐倹が鴻臚寺の長官にあたる鴻臚卿に就いていた時期(〜貞観四年(630))に盆菓子用に買い溜めされていたものでほぼ私物化されている
ちなみに魏徴が侍中を務めたのは貞観六〜十年(632〜636)の間で、このとき唐倹はすでに鴻臚卿から民部尚書に昇進しています
唐倹は官にあっては酒の肴を自ら用意して親賓と酒をほしいままにし、仕事に励まなかったといいます(唐倹伝)
やっぱり朝廷の飲み食いの規則緩くない?
#李世民 #魏徴 #唐倹
resにも返信してるんですが隙自歴史創作語失礼します(こっちの方が分量多め)
侯君集は李世民さんが李淵の次男坊で年上だと承知の上で、二人のときは対等な友人として接してます
身長も弓の腕前も自分の方が勝ってるので年齢と家柄をさっぴいても李世民の方がちょっと下だと思っている
李世民さんと李道宗以外の人物がいるときは物腰低く恭しく接しているので、これにはひそかに息子の行動を見守る竇娘子もニッコリ
侯君集くんは李世民の母竇氏に女装の話を聞かされたときに男なのに女の格好してんだ…うわ〜…(笑)と内心思っていたのに、いざ李世民さんを目にしたらありだな…と掌クルクルです
純情な部分もあるので家の金でお揃いの指輪とか買って贈ったりもします(古代〜中世中国には愛の誓いとして指輪を贈る風習がある) かわいい
>2023/10/28 23:36
>幼少期漫画だいすきです! ここの君集さんは李世民さんを一個上の李淵の次男くんとして認識してるのか、あるいは同い年か年下か、はたまた女の子と思っているのか、妄想がとても捗ります。
侯君集は李世民さんが李淵の次男坊で年上だと承知の上で、二人のときは対等な友人として接してます
身長も弓の腕前も自分の方が勝ってるので年齢と家柄をさっぴいても李世民の方がちょっと下だと思っている
李世民さんと李道宗以外の人物がいるときは物腰低く恭しく接しているので、これにはひそかに息子の行動を見守る竇娘子もニッコリ
侯君集くんは李世民の母竇氏に女装の話を聞かされたときに男なのに女の格好してんだ…うわ〜…(笑)と内心思っていたのに、いざ李世民さんを目にしたらありだな…と掌クルクルです
純情な部分もあるので家の金でお揃いの指輪とか買って贈ったりもします(古代〜中世中国には愛の誓いとして指輪を贈る風習がある) かわいい
侯君集の人物シートリクエストいただいたので去年描いた練習絵あげておきます
自創作では侯君集の母竇娘子と李世民の母竇氏が遠縁にあり、二人は幼少期から交友があったことにしています
君集が物心つく頃にはすでに父の侯定は亡くなっており、竇娘子が家を守るために君集を李世民に接近させたという設定
李道宗も父李韶を早くに亡くして一家が李家に庇護されていたので、この三人で一緒に遊ぶ機会もそこそこある
付き合いが長い分君集が徐々に李世民への感情を拗らせていくのにも一早く気が付く李道宗であってほしい(でも情があるわけではないのでちゃんと李世民に警戒した方が良いと進言する)
李世民さんが女装しているのは幼少期に病弱であったので宇文士及が李淵に入れ知恵して魔除けのために女装させている という設定です
#侯君集 #李世民 #李道宗
自創作では侯君集の母竇娘子と李世民の母竇氏が遠縁にあり、二人は幼少期から交友があったことにしています
君集が物心つく頃にはすでに父の侯定は亡くなっており、竇娘子が家を守るために君集を李世民に接近させたという設定
李道宗も父李韶を早くに亡くして一家が李家に庇護されていたので、この三人で一緒に遊ぶ機会もそこそこある
付き合いが長い分君集が徐々に李世民への感情を拗らせていくのにも一早く気が付く李道宗であってほしい(でも情があるわけではないのでちゃんと李世民に警戒した方が良いと進言する)
李世民さんが女装しているのは幼少期に病弱であったので宇文士及が李淵に入れ知恵して魔除けのために女装させている という設定です
#侯君集 #李世民 #李道宗
李世民さんは少なくとも三回ほど脱いだ服を人に与えたことがある
このとき円領袍を脱いで半臂姿になっているとも思えないので、円領袍の上に上着を羽織るのが通常スタイルだったのかもしれない
円領袍+胡服はちょっとごちゃついてる気もするけど、ドラマ贞观之治の李世民さんもそういう服装してるのでありなんだろう。もしくはドラマ贞观之治も上記のエピソードを参考にしてそういう衣装にしているか
ちなみに唐代伝奇『虯髯客傳』の李世民さんは英雄性の表現として衫も履物も身に付けずに登場します
人に服あげちゃって半臂姿になっててもそれはそれで可愛いけど目を覚ました李世勣がそれを見たらめちゃくちゃ動揺しそう
貞観十七年(643)、宴席の最中、李世民は李世勣に「幼孤(みなしごのこと。自身が死去したのちの李治を指す)を託すのに、卿を越える者はない」と言った。李世勣は泣いて謝辞を述べると、指を噛んで流血し酔いつぶれてしまった。李世民は御服を解き、李世勣に被せた。(『旧唐書』李勣伝)
貞観二十年(646)、李世民は亀茲討伐を計画した。阿史那賀魯はこれを知ると、先導を申し出、数十騎を率いて入朝した。李世民は賀魯を崑丘道行軍総管とし、嘉寿殿で厚く宴賜し、自身の衣を解いて彼に着せた。(『新唐書』突厥下 阿史那賀魯伝、『資治通鑑』巻199)
新羅に薛罽頭(せつけいとう)という者がいた。武徳四年(621)にひそかに海船に乗って唐に入り、貞観十九年(645)に李世民が高句麗に親征すると、高句麗軍と駐蹕山の下で戦い、敵陣に深入りして戦死した。李世民は涙を流して言った。「彼は異国の人でありながら、我が国のために死んでいった。何を以てこの功に報いれば良いだろうか?」と。御衣を脱ぐとそれで薛罽頭の遺体を覆い、大将軍の職を授け、礼を以て埋葬した。(『三国史記』薛罽頭伝)
このとき円領袍を脱いで半臂姿になっているとも思えないので、円領袍の上に上着を羽織るのが通常スタイルだったのかもしれない
円領袍+胡服はちょっとごちゃついてる気もするけど、ドラマ贞观之治の李世民さんもそういう服装してるのでありなんだろう。もしくはドラマ贞观之治も上記のエピソードを参考にしてそういう衣装にしているか
ちなみに唐代伝奇『虯髯客傳』の李世民さんは英雄性の表現として衫も履物も身に付けずに登場します
人に服あげちゃって半臂姿になっててもそれはそれで可愛いけど目を覚ました李世勣がそれを見たらめちゃくちゃ動揺しそう
寒くなってきたので萌え袖コーデの李世民さんを想像してやる気を出している
そもそも常服が円領袍の時点で常時萌え袖ですがニット素材のぶかぶかお召し物を着ての萌え袖はまた別だから…
李世勣のカーディガンを勝手に羽織っちゃう李世民さんとか絶対可愛い
李世勣がフォーマルなカーディガン持ってるイメージが一切湧かないので脳内でカーディガンがスタジャンにすり替わってしまうけどそれも可愛い
李世勣は十代の頃はガルフィーのジャージとか着てるけど、唐に帰順して以降はお行儀良くなるのでBILLIONAIRE BOYS CLUBとかPalace Skateboardsとかストリートブランドでもハイエンドな方に寄っていってそう
李世勣がベッドで脱ぎ捨ててるスウェットを着て「私の方が似合う!」とか言って笑ってる李世民さんと、そのスウェットが数万円するブランド品と知られたら露骨に引かれるのが目に見えているので萌え袖彼スウェットを心から堪能できず苦笑いしてる李世勣の構図が一番“あり”そう
そもそも常服が円領袍の時点で常時萌え袖ですがニット素材のぶかぶかお召し物を着ての萌え袖はまた別だから…
李世勣のカーディガンを勝手に羽織っちゃう李世民さんとか絶対可愛い
李世勣がフォーマルなカーディガン持ってるイメージが一切湧かないので脳内でカーディガンがスタジャンにすり替わってしまうけどそれも可愛い
李世勣は十代の頃はガルフィーのジャージとか着てるけど、唐に帰順して以降はお行儀良くなるのでBILLIONAIRE BOYS CLUBとかPalace Skateboardsとかストリートブランドでもハイエンドな方に寄っていってそう
李世勣がベッドで脱ぎ捨ててるスウェットを着て「私の方が似合う!」とか言って笑ってる李世民さんと、そのスウェットが数万円するブランド品と知られたら露骨に引かれるのが目に見えているので萌え袖彼スウェットを心から堪能できず苦笑いしてる李世勣の構図が一番“あり”そう
九月の読書
何冊か読んだけど感想まとめられてないのでそのうち書きます
読んだのは『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』(松下憲一、講談社 2023)
『仙境往来―神界と聖地(シリーズ・道教の世界1)』(田中文雄、春秋社 2002)
読み途中なのが『アジア・中東の装飾と文様』(海野弘、パイインターナショナル 2023)
『アジア・中東の装飾と文様』は刊行後しばらくスルーしてたんですが中身確認したら予想の二十倍くらい良かったです
買ったけど手付かずの本たち
『隋―「流星王朝」の光芒』(平田陽一郎、中央公論新社 2023)
『中国の城郭都市―殷周から明清まで』(愛宕元、筑摩書房 2023)
『図解 中国の伝統建築 寺院・仏塔・宮殿・民居・庭園・橋』(李乾朗著、恩田重・田村広子訳、マール社 2023)
『アジア人物史第2巻 世界宗教圏の誕生と割拠する東アジア』(姜尚中総監修、集英社 2023)
隋末唐初の人物の伝記だけ先に読み終わってそこから進みません
『ポムポムプリン(1) ぼくたち、チームプリン!』(講談社 2023)はちゃんと読みました
公式ツイッターの一枚絵とチームプリン漫画で微妙にキャラの性格が違うのはわかってたですが、チームプリン漫画のプリンがマフィンよりかなり大人びてることがわかって良かったです
マフィンより遅くに寝て目覚まし時計が鳴る前に起きるプリン大人すぎる。プリンさん…
スタバのカスタム慣れしてるプリン見たときちむぷりフレンズたちよりプリンの方が大人なのか?と思ったけどその方向性で間違いないようです
あとプリンが陰でひそかにちむぷりフレンズの世話を焼いてるのにマフィンの自意識が「クールな一匹ハムだがプリンから目が離せないので仕方なく世話を焼いている」でド好みすぎるcp観
貞観朝の朝廷も李世民さんにめちゃくちゃ世話を焼かれてるのに「本来はクールなのに陛下から目が離せないので世話を焼いている」な臣下たち山ほどいそう 魏徴とか褚遂良とか李世勣とか尉遅敬徳とか長孫無忌とか なんなら房玄齢もそう
なんかほぼ全員該当しそう
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何冊か読んだけど感想まとめられてないのでそのうち書きます
読んだのは『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』(松下憲一、講談社 2023)
『仙境往来―神界と聖地(シリーズ・道教の世界1)』(田中文雄、春秋社 2002)
読み途中なのが『アジア・中東の装飾と文様』(海野弘、パイインターナショナル 2023)
『アジア・中東の装飾と文様』は刊行後しばらくスルーしてたんですが中身確認したら予想の二十倍くらい良かったです
買ったけど手付かずの本たち
『隋―「流星王朝」の光芒』(平田陽一郎、中央公論新社 2023)
『中国の城郭都市―殷周から明清まで』(愛宕元、筑摩書房 2023)
『図解 中国の伝統建築 寺院・仏塔・宮殿・民居・庭園・橋』(李乾朗著、恩田重・田村広子訳、マール社 2023)
『アジア人物史第2巻 世界宗教圏の誕生と割拠する東アジア』(姜尚中総監修、集英社 2023)
隋末唐初の人物の伝記だけ先に読み終わってそこから進みません
『ポムポムプリン(1) ぼくたち、チームプリン!』(講談社 2023)はちゃんと読みました
公式ツイッターの一枚絵とチームプリン漫画で微妙にキャラの性格が違うのはわかってたですが、チームプリン漫画のプリンがマフィンよりかなり大人びてることがわかって良かったです
マフィンより遅くに寝て目覚まし時計が鳴る前に起きるプリン大人すぎる。プリンさん…
スタバのカスタム慣れしてるプリン見たときちむぷりフレンズたちよりプリンの方が大人なのか?と思ったけどその方向性で間違いないようです
あとプリンが陰でひそかにちむぷりフレンズの世話を焼いてるのにマフィンの自意識が「クールな一匹ハムだがプリンから目が離せないので仕方なく世話を焼いている」でド好みすぎるcp観
貞観朝の朝廷も李世民さんにめちゃくちゃ世話を焼かれてるのに「本来はクールなのに陛下から目が離せないので世話を焼いている」な臣下たち山ほどいそう 魏徴とか褚遂良とか李世勣とか尉遅敬徳とか長孫無忌とか なんなら房玄齢もそう
なんかほぼ全員該当しそう
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李世民さんがそういう行動を取るのはわかるけどそれを李靖が受け入れてたというのが意外
李世民さんが李靖はもう歳だから吐谷渾遠征を任せたいけど無理はさせられないよね…と侍臣に漏らしたのを知って房玄齢に「私は老齢だがまだ一仕事には耐えれるが??」と乗り込んできたり李靖って何気に李世民さんのこと好きすぎると思うんですけど
李靖x李世民確定案件