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(秒速理解)が良すぎる
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twitterの鍵アカウントやてがろぐにあげていたらくがきをまとめました
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『唐人軼事彙編』(周勛初主編、嚴杰・武秀成等編、上海古籍出版社 2015)
正史や墓誌以外の唐、五代、両宋の雑史、伝記、故事、小説から、唐〜五代十国(宋以前)の主要人物約2700人の逸事を人物別に集録した逸話集
隋末唐初の人物の知らない逸話がいっぱい読めるかも!と思って買ったんですけど、そもそも隋末唐初の人物がよく出る史料は唐宋史料筆記叢刊でだいたい買い揃えてるから9割出典込みで知ってる話だった
残り5%が知ってるけど出典まで把握してない話、あと5%はほんとうに全く知らない話
尉遅乙僧が平陽公主の肖像画描いてる話とか初めて知ったんですけどその絵見たすぎる
あと『資治通鑑』『冊府元亀』からの引用はないけど『資治通鑑考異』からはあって、これはかなり嬉しかったです
『資治通鑑考異』持ってないし全然読んでないので というか早く通鑑考異買った方がいい
正史や墓誌以外の唐、五代、両宋の雑史、伝記、故事、小説から、唐〜五代十国(宋以前)の主要人物約2700人の逸事を人物別に集録した逸話集
隋末唐初の人物の知らない逸話がいっぱい読めるかも!と思って買ったんですけど、そもそも隋末唐初の人物がよく出る史料は唐宋史料筆記叢刊でだいたい買い揃えてるから9割出典込みで知ってる話だった
残り5%が知ってるけど出典まで把握してない話、あと5%はほんとうに全く知らない話
尉遅乙僧が平陽公主の肖像画描いてる話とか初めて知ったんですけどその絵見たすぎる
あと『資治通鑑』『冊府元亀』からの引用はないけど『資治通鑑考異』からはあって、これはかなり嬉しかったです
『資治通鑑考異』持ってないし全然読んでないので というか早く通鑑考異買った方がいい
李世民さんと長孫皇后の間に生まれた子どものうち、李泰、李治、李明達はそれぞれ小字または幼名が判明している(李泰:小字青雀、李治:小字雉奴、李明達:幼字兕子)
坂井田ひとみ「中国人の姓氏名字考」(『社会科学研究』16 1996)によれば、昔子どもの乳名・小名(親のつけるニックネーム)には縁起のいい文字を用いるよりも魔除け・無病息災を願い「賤名」をつけることが多く、当時は子どもの死亡率が高かったので、動物のように逞しく育つよう願って動物の漢字を用いることがあったらしい
昭陵六駿(馬)とか将軍(白鶻)とか動物好きだもんなくらいに思ってたけど、り、李世民さん…
これはかんぜんに親の愛でしょう
最愛の正妻である長孫氏の産んだ子どもたちには愛情もひとしおだったのではないだろうか
李世民は李明達が12歳で亡くなると食事も喉を通らず痩弱したというし、芯から子煩悩だったんだと思うと切ない
坂井田ひとみ「中国人の姓氏名字考」(『社会科学研究』16 1996)によれば、昔子どもの乳名・小名(親のつけるニックネーム)には縁起のいい文字を用いるよりも魔除け・無病息災を願い「賤名」をつけることが多く、当時は子どもの死亡率が高かったので、動物のように逞しく育つよう願って動物の漢字を用いることがあったらしい
昭陵六駿(馬)とか将軍(白鶻)とか動物好きだもんなくらいに思ってたけど、り、李世民さん…
これはかんぜんに親の愛でしょう
最愛の正妻である長孫氏の産んだ子どもたちには愛情もひとしおだったのではないだろうか
李世民は李明達が12歳で亡くなると食事も喉を通らず痩弱したというし、芯から子煩悩だったんだと思うと切ない
『歴史をひらく: 女性史・ジェンダー史からみる東アジア世界』(宋連玉・秋山洋子・伊集院葉子・井上和枝・金子幸子・早川紀代編集、御茶の水書房 2015)
2013年開催日中韓女性史国際シンポジウム「女性史・ジェンダー史からみる東アジアの歴史像」の諸報告と、2014年開催総合女性史学会大会「女性史・ジェンダー史からみる東アジアの歴史像―女性史の新たな可能性を求めて」における諸報告を再構成し1冊にまとめた本
第一セッションでは5〜9世紀の中国・韓国・日本に出現した女帝、女王、女主などと呼ばれる女性統治者、女性権力者の存在形態と国家構造について、第二セッションでは10〜18世紀の「家」の変化を中心に社会構造や儒教などのイデオロギーが家の構成や夫婦や親子の人間関係に与える影響について、第三セッションでは19、20世紀の女性の移動を労働の観点から取り上げる
各セッションごとに「成果と課題」と「コメント」(書評みたいなの)が付いていて、これがけっこう手厳しくて読み応えがある
姜英卿著、井上和枝訳「新羅における善徳女王の即位背景と統治性格」を目当てて読んだんですが、この論考の首をかしげる部分はちゃんと「コメント」で指摘されてました
この的確なコメント誰が書いてるんだと思ったら李成市先生だったので完全に得心
李成市先生は善徳女王の父・真平王の時代から対倭外交がはじまったこと、また日本の「女帝の時代」(590〜770)に新羅との外交が盛んであったこと、善徳・真徳女王の親唐政策、唐から見た善徳女王の存在感などから倭→新羅→唐へ「女帝即位の構想がミーム化」し伝播したのではないかと指摘していて、私としては姜英卿先生の報告よりこっちの方が興味深かった
あと李世民さんが善徳女王に香りのない牡丹の花の絵を送った話信憑性ないと思ってたけど、姜英卿先生の報告で善徳女王が即位後に芬皇寺(芳しい皇帝の寺)という名前の寺院を立ててたと知って笑った 喧嘩じゃん
李世民さんが善徳女王に香りのない牡丹の花の絵を送った話は史料によって意味合いに相違があるので機会があればサイトにまとめたい
2013年開催日中韓女性史国際シンポジウム「女性史・ジェンダー史からみる東アジアの歴史像」の諸報告と、2014年開催総合女性史学会大会「女性史・ジェンダー史からみる東アジアの歴史像―女性史の新たな可能性を求めて」における諸報告を再構成し1冊にまとめた本
第一セッションでは5〜9世紀の中国・韓国・日本に出現した女帝、女王、女主などと呼ばれる女性統治者、女性権力者の存在形態と国家構造について、第二セッションでは10〜18世紀の「家」の変化を中心に社会構造や儒教などのイデオロギーが家の構成や夫婦や親子の人間関係に与える影響について、第三セッションでは19、20世紀の女性の移動を労働の観点から取り上げる
各セッションごとに「成果と課題」と「コメント」(書評みたいなの)が付いていて、これがけっこう手厳しくて読み応えがある
姜英卿著、井上和枝訳「新羅における善徳女王の即位背景と統治性格」を目当てて読んだんですが、この論考の首をかしげる部分はちゃんと「コメント」で指摘されてました
この的確なコメント誰が書いてるんだと思ったら李成市先生だったので完全に得心
李成市先生は善徳女王の父・真平王の時代から対倭外交がはじまったこと、また日本の「女帝の時代」(590〜770)に新羅との外交が盛んであったこと、善徳・真徳女王の親唐政策、唐から見た善徳女王の存在感などから倭→新羅→唐へ「女帝即位の構想がミーム化」し伝播したのではないかと指摘していて、私としては姜英卿先生の報告よりこっちの方が興味深かった
あと李世民さんが善徳女王に香りのない牡丹の花の絵を送った話信憑性ないと思ってたけど、姜英卿先生の報告で善徳女王が即位後に芬皇寺(芳しい皇帝の寺)という名前の寺院を立ててたと知って笑った 喧嘩じゃん
李世民さんが善徳女王に香りのない牡丹の花の絵を送った話は史料によって意味合いに相違があるので機会があればサイトにまとめたい
新旧唐書薛萬徹伝の
のところひどすぎてふつうに面白い
目の前で李世民に自分を告発する上書を燃やしてもらってるとこまでは美談なのにあとで裴行方から怨望を暴露されて弁明もできず李世勣からは「こいつの罪は死んでも許されないっすよ」(『新唐書』は「死んで当然ですよ」)って言われてる薛萬徹
薛萬均の方が問題児な印象だったけど薛萬徹の方が程度がひどいな
薛萬均は高昌の婦女と財産を略奪してるだけだし…そのくらい侯君集もやってるし…高昌の麹智盛を恫喝したのも罪にあたらないし…(こうして感覚麻痺していく)
萬徹在軍、仗氣凌物、人或奏之。及謁見、太宗謂曰「上書者論卿與諸將不協、朕錄功棄過、不罪卿也。」因取書焚之。尋為副將、右衛將軍裴行方言其怨望、於是廷驗之、萬徹辭屈。英國公李勣進曰「萬徹職乃將軍、親惟主婿、發言怨望、罪不容誅。」因除名徙邊、會赦得還。(『旧唐書』薛萬徹伝)
萬徹在軍中、任氣不能下人、或有上書言狀者、帝愛其功、直加讓勗而已、即為焚書。副將裴行方亦言其怨望。李勣曰「 萬徹位大將軍、親主壻、而內懷不平、罪當誅。」因詔除籍徙邊、會赦、還。(『新唐書』薛萬徹伝)
のところひどすぎてふつうに面白い
目の前で李世民に自分を告発する上書を燃やしてもらってるとこまでは美談なのにあとで裴行方から怨望を暴露されて弁明もできず李世勣からは「こいつの罪は死んでも許されないっすよ」(『新唐書』は「死んで当然ですよ」)って言われてる薛萬徹
薛萬均の方が問題児な印象だったけど薛萬徹の方が程度がひどいな
薛萬均は高昌の婦女と財産を略奪してるだけだし…そのくらい侯君集もやってるし…高昌の麹智盛を恫喝したのも罪にあたらないし…(こうして感覚麻痺していく)
薛萬均・薛萬徹の兄弟は大業末に涿郡太守の父薛世雄に従って兄弟で幽州におり、ともに武略をもって羅藝に厚遇された。このとき萬徹はまだ十代だった
『隋書』薛世雄伝によれば、世雄は大業九年(613)に楊玄感の乱が起きたため東北道大使、燕郡(涿郡)太守となり、懐遠に駐屯した。また翌年に煬帝の第三次高句麗遠征が起きると左禦衛大将軍、涿郡留守を兼ねたという
613年か614年にまだ十代(満19歳未満)だったということは、薛萬徹の生年は594年か595年以降ということになる
李世民は当代の名将として李世勣(594生)、李道宗(600か603生)、薛萬徹を並称しているけど、やっぱり三人とも世代が近かったのかもしれない
あと李淵は薛世雄と同年に懐遠に駐屯しており、それに随従して竇氏と李世民も涿郡にいたようである
ということは薛家と李家のメンツが顔を合わせていてもおかしくないってことだ
薛萬徹・薛萬均が羅芸と誼を結んだように遠征先で高官の子どもが人脈を広げるケースがあるなら、李淵・李建成・李世民と薛世雄・薛萬徹・薛萬均もワンチャン会ってる可能性が…
でも李世民さんは竇氏の看病で忙しいからあんまり人付き合いする余裕もなさそうだけど
薛萬徹、雍州咸陽人、自燉煌徙焉、隋左禦衞大將軍世雄子也。世雄、大業末卒於涿郡太守。 萬徹少與兄萬均隨父在幽州、俱以武略為羅藝所親待(『旧唐書』薛萬徹伝)
『隋書』薛世雄伝によれば、世雄は大業九年(613)に楊玄感の乱が起きたため東北道大使、燕郡(涿郡)太守となり、懐遠に駐屯した。また翌年に煬帝の第三次高句麗遠征が起きると左禦衛大将軍、涿郡留守を兼ねたという
613年か614年にまだ十代(満19歳未満)だったということは、薛萬徹の生年は594年か595年以降ということになる
李世民は当代の名将として李世勣(594生)、李道宗(600か603生)、薛萬徹を並称しているけど、やっぱり三人とも世代が近かったのかもしれない
あと李淵は薛世雄と同年に懐遠に駐屯しており、それに随従して竇氏と李世民も涿郡にいたようである
九年、遷衛尉少卿。遼東之役、督運於懷遠鎮。及楊玄感反、詔高祖馳驛鎮弘化郡、兼知關右諸軍事。(『旧唐書』高祖本紀)
大業中(…)后崩於涿郡」(『旧唐書』太穆皇后竇氏伝)
先是、帝在髫齓、穆后於諸子之中獨所鍾愛、自穆后寢疾、朝夕侍側、不解衣冠、所進湯藥必先嘗之。及丁穆皇後憂、毀瘠三年、杖而能起。(『冊府元亀』巻27 帝王部孝德)
ということは薛家と李家のメンツが顔を合わせていてもおかしくないってことだ
薛萬徹・薛萬均が羅芸と誼を結んだように遠征先で高官の子どもが人脈を広げるケースがあるなら、李淵・李建成・李世民と薛世雄・薛萬徹・薛萬均もワンチャン会ってる可能性が…
でも李世民さんは竇氏の看病で忙しいからあんまり人付き合いする余裕もなさそうだけど
太宗嘗召司徒長孫無忌等十餘人宴於丹霄殿、各賜以貘皮、萬徹預焉。太宗意在賜萬徹、而誤呼萬均、因愴然曰「萬均朕之勳舊、不幸早亡、不覺呼名、豈其魂靈欲朕之賜也。」因令取貘皮、呼萬均以同賜而焚之於前、侍坐者無不感歎。(『旧唐書』薛萬徹兄萬均伝)
(訳)太宗(李世民)はかつて司徒長孫無忌ら十数人を召し出して丹霄殿で宴席を開き、各々に貘皮(パンダの毛皮か)を賜った。薛萬徹もその宴席に列席していた。太宗が萬徹に毛皮を賜ろうとしたところ、誤って萬徹の兄の萬均の名を呼んでしまった。すると愴然とし(悲しみに心を痛めて)言った。「萬均は朕の勲旧であるが、不幸にも早くに亡くなってしまった。不意にその名を呼んでしまったのは、萬均の魂が朕の賜り物を欲しているからだろう」と。そこで貘皮を取らせ、萬均の名を読んで御前で焚き上げた。その場にいた者で感歎しないものはいなかった。
😢😢😢😢😢😢😢😢 😭🔥🐼🔥 😢😢😢😢😢😢😢😢
貘とパンダについては荒木達雄「中国古文献中のパンダ」を参考にしました
『唐會要』巻79を見ていたら、薛萬均と温大雅の諡号が同じ「景」だった。毛色が違いすぎる二人
『逸周書』諡法解によれば
とのこと
つまり義によって功績・武功を立てたり武力・軍略で軍功を立てた人に贈られる諡号らしい
太原元従軍団の一人である温大雅と武勇と軍略に優れ吐谷渾・高昌平定に貢献した薛萬均が同じ景を贈られてるのも納得
『逸周書』諡法解の読み方については瀧野邦雄「景泰帝の諡号の恭仁康定景について」(『経済理論』391、2018)を参考にさせてもらいました
景。耆意大慮曰景。布義行剛曰景。由義而濟曰景。贈禮部尚書黎國公溫大雅。贈幽州都督潞國公薛萬均。(『唐會要』巻79 諸使下)
『逸周書』諡法解によれば
由義而濟曰景。布義行剛曰景。耆意大慮曰景。(義に由りて濟ナすを景と曰う。義を布シきて剛を行なうを景と曰う。耆ツヨき意もて大いに圖るを景と曰う。)
とのこと
つまり義によって功績・武功を立てたり武力・軍略で軍功を立てた人に贈られる諡号らしい
太原元従軍団の一人である温大雅と武勇と軍略に優れ吐谷渾・高昌平定に貢献した薛萬均が同じ景を贈られてるのも納得
『逸周書』諡法解の読み方については瀧野邦雄「景泰帝の諡号の恭仁康定景について」(『経済理論』391、2018)を参考にさせてもらいました
丹陽公主(李淵の娘で李世民の姉か妹)と薛萬徹の話
↑これと
↑これと
↑これ
丹陽公主が夫の薛萬徹を恥じて数ヶ月同席しなかった理由は、
『新唐書』丹陽公主は「萬徹が非常に愚かだった」ため
『隋唐嘉話』巻中は李世民が誰かに「薛駙馬(駙馬:皇女の夫のこと)は村気(野蛮、粗野)である」と言ったため
『唐語林』巻五 補遺は誰かが李世民に「薛駙馬は才気がない」と言ったため
『新唐書』丹陽公主と『隋唐嘉話』巻中をごっちゃにして創作物かSNSの投稿かで「李世民は薛萬徹をあほのこ扱いした」と説明した記憶があるので見つけ次第削除か訂正したい
粗野とは言ったけど愚かとは言ってなかったし『唐語林』に至っては李世民さんは何も言ってない(これちゃんと読んでなかったので驚いた)
その上で丹陽公主との仲を取り持つために宴席を開いて薛萬徹とともに楽しく語らい幾度もその美点を称賛し佩刀を賭けた勝負ではわざと負けて萬徹に自分の佩刀を与えて ハア…(恍惚)
李世民さんが姉妹思いかつ萬徹にも甘いの可愛すぎる。萬徹は李世民が兄の薛萬均のためにパンダの毛皮をお焚き上げしたのも見てるしその場にいる全員が感銘を受けたなら萬徹もそうだっただろうし(薛萬均伝)兄弟ともに親愛されてる自覚あっただろうな
そりゃ萬徹も死に際に「萬徹は大健児だ!留めて国家のために死力を尽さしめば誼みを固くすることができるのに、どうして房遺愛に連座して殺すのか!」って言う。それまで李世民に愛されてきたボーイなので
そしてそのあと服を脱いで「早く斬れ!」と言って執刀者が苦戦したら「なぜ力を加えないのか!」って怒鳴る
これが李世民さんの言う「村気」…でも言ってることは理にかなってるのでやっぱり愚かではないと思う
萬均もオラついた性格してるし兄弟でいい育ち方してる
下嫁薛萬徹。萬徹憃甚、公主羞、不與同席者數月。太宗聞、笑焉、為置酒、悉召它衞與萬徹從容語、握槊賭所佩刀、陽不勝、遂解賜之。主喜、命同載以歸。(『新唐書』諸帝公主 高祖十九女 丹陽公主)
↑これと
薛萬徹尚丹陽公主、太宗嘗謂人曰「薛駙馬村氣。」主羞之、不與同席數月。帝聞而大笑、置酒召對、握槊、賭所佩刀子、佯為不勝、解刀以佩之。罷酒、主悦甚、薛未及就馬、遽召同載而還、重之逾於舊。(『隋唐嘉話』巻中)
↑これと
薛萬徹尚丹陽公主。人謂太宗曰「薛駙馬無才氣。」因此公主羞之、不同席者數月。帝聞之、大笑、置酒召諸婿盡往、獨與薛歡語、屢稱其美。因對握槊、睹所佩刀、帝佯為不勝、解刀以佩之。酒罷、悦甚。薛未及就馬、主遽召同載而還、重之逾於舊日。(『唐語林』巻五 補遺 起高祖至代宗)
↑これ
丹陽公主が夫の薛萬徹を恥じて数ヶ月同席しなかった理由は、
『新唐書』丹陽公主は「萬徹が非常に愚かだった」ため
『隋唐嘉話』巻中は李世民が誰かに「薛駙馬(駙馬:皇女の夫のこと)は村気(野蛮、粗野)である」と言ったため
『唐語林』巻五 補遺は誰かが李世民に「薛駙馬は才気がない」と言ったため
『新唐書』丹陽公主と『隋唐嘉話』巻中をごっちゃにして創作物かSNSの投稿かで「李世民は薛萬徹をあほのこ扱いした」と説明した記憶があるので見つけ次第削除か訂正したい
粗野とは言ったけど愚かとは言ってなかったし『唐語林』に至っては李世民さんは何も言ってない(これちゃんと読んでなかったので驚いた)
その上で丹陽公主との仲を取り持つために宴席を開いて薛萬徹とともに楽しく語らい幾度もその美点を称賛し佩刀を賭けた勝負ではわざと負けて萬徹に自分の佩刀を与えて ハア…(恍惚)
李世民さんが姉妹思いかつ萬徹にも甘いの可愛すぎる。萬徹は李世民が兄の薛萬均のためにパンダの毛皮をお焚き上げしたのも見てるしその場にいる全員が感銘を受けたなら萬徹もそうだっただろうし(薛萬均伝)兄弟ともに親愛されてる自覚あっただろうな
そりゃ萬徹も死に際に「萬徹は大健児だ!留めて国家のために死力を尽さしめば誼みを固くすることができるのに、どうして房遺愛に連座して殺すのか!」って言う。それまで李世民に愛されてきたボーイなので
そしてそのあと服を脱いで「早く斬れ!」と言って執刀者が苦戦したら「なぜ力を加えないのか!」って怒鳴る
これが李世民さんの言う「村気」…でも言ってることは理にかなってるのでやっぱり愚かではないと思う
萬均もオラついた性格してるし兄弟でいい育ち方してる
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意識する・はきなさい
・房玄齢:また履き忘れてきたんですか?(汗)
意識する・えっち
・李世勣:え… あ…? は!?!?!?
気にしない・はきなさい
・魏徴:はきなさい
気にしない・えっち
・尉遅敬徳:エロいっすね
・侯君集:まじすか?エロッ
・褚遂良:確認させてください。起居注としてありのままを記録せねばなりませんから(李世民を人気のない部屋に連れ込んでノーパンか確認するが手は出さない)
李世民さんは本当に履き忘れて朝廷に出てきただけです
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