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少年李淵、楊廣
少年楊廣
 少年李淵
幼少期楊廣と李淵
#楊廣 #李淵

歴史歴史創作

キャラ設定シート:杜如晦(23.9.24差し替え 設定シート参考元さま(許諾習得済))
(キャプション自動取得対象外)
房玄齢、杜如晦、尉遅敬徳あたりは武徳代から秦王府の内輪で李世民さんのことを「我が君」と呼んだりしてる
李靖と李世勣は李淵より李世民の方に入れ込んでいることを自覚していても我が君呼びは控えてそう
#キャラシ #杜如晦

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キャラ設定シート:房玄齢(23.9.24差し替え 設定シート参考元さま(許諾習得済))
(キャプション自動取得対象外)
房玄齢の髪の毛はいつも緑系の茶色で塗ってるんですけど最後に加工するから赤みがかった色になっちゃう
#キャラシ #房玄齢

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気が強くて弁が立って議論好きで気分が分かりやすく態度に出る李世民さんがよく通る大きい声の持ち主とくれば官僚が上奏のときに怯えるのも納得なんですよね
李世民さんって人当たりもいいし愛嬌もあるけど「はあ?」「何でそうなる?」とか屈託なく口に出して相手を知らない間に萎縮させてそう
魏徴や温彦博や劉洎が陛下表情を和らげてくださいとか官僚に言い返さないでくださいとか諫言するのもわかる
そしてよく考えたら粗雑な口調を躾けておしとやかに矯正するのってストレートにマイ・フェア・レディである

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『旧唐書』温彦博伝に
「彦博は宣吐(朗読、文章の読み上げ)を善くし、声は高朗で見る者が目を奪われるようであった」
「温彦博が突厥の捕虜となってからは宴席では李世民さんが読み上げ(宣告?)を代理していた(李淵はそれを見るたびに温彦博を思い出して彼の身を案じていた)」
という話があり、李世民さんはいい声の持ち主という説が私のなかで有力だったのですが、中国のオタクの人も「褚遂良が《請節勞表》で李世民さんの声を〈音若韶夏〉と書いてるからいい声に違いない」と主張してて元気が出ました
これを見習って今後とも定型表現とかオタクには関係ないんで…🤚のスタンスでいきます
よく通るクソデカ大声で「私が秦王だ!!!!!」(資治通鑑189の〈世民大呼曰「我秦王也」〉)って叫ぶ李世民さんは解釈ドンピシャすぎる

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侯君集、母竇氏が墓誌で躾に厳しかったと書かれているのと(あくまで墓誌の表現であることに注意が必要だけど)、李世民に最も信愛されていた目上かつ年上の房玄齢と李靖を敵視したという点から李世民を母とするエディプスコンプレックスこじらせてるイメージがある
なので胎内回帰願望の表れとして李世民さん吸いするときもお腹を吸っててほしい
あと『酉陽雑俎』に収録されてるこの話(『酉陽雑俎』侯君集の見た夢 | FUDGE )はかなり直球で去勢不安のメタファーだと思う

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キャラ設定シート:李世民さん(23.9.24差し替え 設定シート参考元さま(許諾習得済))
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二人称の欄の「お前」は臣下を私的な場で「お前」呼びすることもあるという設定です あと子供たち
私的な場というかベットの上でお前呼びが出ちゃう李世民さんはエッチなのでこの案は満場一致で採用されています
サイトの人物紹介では599年生を取っていますが、谷川道雄先生は600年生まれ説を採用しているので創作ではこっちを採用してもいい
記入漏れしたイメージ食べ物:バニラアイスクリームの乗ったアップルパイ
#キャラシ #李世民

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李世民さんとよく描く人物のキャラシートくらい作ってサイトに置いておくかと思って作り始めたけど、谷川先生の本の一節を引用したくて読み直してたらやっぱり李世民さんの精神性、好き…という感情が溢れかえってしまった
うちのサイトでは可愛さと面白さにばかりフォーカスしてるし李世民さん自身完璧な聖人君子ではないけど、自己を虚しくし内省することにかけてここまで徹底して努めた君主はそういないのでそこをちゃんと主張していきたい

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秦王府十八学士に教導される李世民さんは実質プリティウーマンでマイ・フェア・レディだし、隋代に絶望を経験した房玄齢が李世民さんに理想を見出して育てようとするのはピグマリオンなんですよね…
(プリティ・ウーマンを見たので思い出したような呟き)

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房玄齢と李世民は大人と子供、冷静と情熱、静と動…と正反対な印象だけど、根本的な価値観は似ていると思う
二人とも真面目で仕事熱心で能力主義で、他人をそこまで嫌うことがなく、争い事や揉め事を好まない

房玄齢伝にある玄齢の「国家を滅ぼすか、身名をともに滅ぼす(李世民を兄弟殺しの汚名を被せても即位させ天下を安寧に導く)かだ」という言葉が好きなんですが、この「名を棄てて実を取る」価値観が二人に共通しているからこそ李世民も玄齢の献策を受け入れ兄弟殺しの汚名を永久にこうむることになったというのがほんとうにめちゃくちゃ好き
二人が迷走した結果目先の利益のために兄弟殺しが発生したわけじゃなくて、天下の安寧という目的と二人に共通する価値観から弾き出された手段が兄弟殺しだったというのは筋が通っているから
李建成の死が必要悪だったという言い方はしたくないけど、この最悪の手段を選んだ二人が天下安寧のために出来うる限りの努力を果たし、それが貞観の治として結実したというのは、濃い影が落ちているけど同じくらいの光もあると思う

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最近気づいたこと
竇氏が死去したのは涿郡にいた(『新唐書』太穆竇皇后伝)(613年の?)5月(『唐六典』巻4)
李世民は病の竇氏をつきっきりで看病し、竇氏が亡くなると三年(二十七ヶ月)の喪に服した(『冊府元亀』巻27)
楊廣が雁門で突厥に包囲されたのが615年8月。突厥が撤退したのが9月(『隋書』煬帝本紀)。この際に李世民が初陣を経験(『新唐書』太宗本紀)
房玄齢の父の房彦謙が死去したのは615年5月(《唐故徐州都督房公碑》)
玄齢は彦謙を三ヶ月間恭しく看病し、亡くなると過度に喪に服した(『旧唐書』房玄齢伝)
玄齢が自ら李世民を訪ねたのは617年の8月(『資治通鑑』巻184)

この二人の母/父を亡くしたあとの行動は相似なんだなーと思った
父母を愛し傍に侍って看病し深く喪に服し、喪が開けるやいなや世界に飛び出していく感じが
李世民と房玄齢が会ったその日に「一見して旧識の如く」親しんだというのもなにかわかる気がする

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李勣って銘肌鏤骨とか割股(本来は父母の病気が長く治らない際に孝子が体の肉を切り取って煮込んで食べさせたところ、天が孝行に感動して病が癒えたという話)とかを比喩じゃなく実行する男なので李世民から「大丈夫?おっぱい揉む?」って聞かれたら絶対揉むじゃん…

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李世勣が宴席で李世民さんに「李治を託せるのは卿しかいない」と言われ感激して指を噛んで流血して涕泣泥酔し、最終的に李世民さんが上着を脱いで李勣に掛けてあげた事件
世勣が指を噛んだのはテュルク系に見られる忠誠の証明や葬送儀礼として顔の一部を傷つける行為の亜種かなと思っていたけど、最近李勣墓碑に「肌に刻み込むために噛んだ〈便即噛指流血、銘肌為記〉」と書いてあるのを知って最高すぎました
というか銘肌鏤骨(肌に銘キザみ骨に鏤キザむ)って本当に物理的にやることあるんだ
父母からもらった身体髪膚を大切にする国で君主に使命を託された感銘を肌に刻む男というのもいいし、李世民にはこんな重い男が李世民崩御後には則天武后の立后に一役買い(李世民の忠臣にはなっても)後継者である李治、果ては唐王朝の忠臣にはならなかったのもポイント高いです

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高句麗遠征の際に李世民さんが傷付いた兵士を甲斐甲斐しく世話したり傷の手当てをしたという史料から、李世民さんが臣下に膝枕したり授乳したりする世界線は確実に「ある」し、むしろ目の前で泥酔号泣してる李世勣が逆に李世民さんのおっぱいを吸ってないことがあるのか?と思ってます
李世勣李世民はどの世界線でも授乳プレイをする

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隋唐もののドラマや小説で李世勣が李世民より年下設定・年下扱いになってるものがどうしても苦手で…
年齢操作パロ年下攻めとして楽しむくらいの心の余裕を持ちたいけど、史実の年上たぶらかし永遠の少年李世民さんと年下君主にメロメロになって李世民相手にはヘタレになっちゃう李世勣が好きすぎて改変で年齢逆転されるの耐えられないんですよね
耐えられないんですよねじゃないよ 広い心を持て

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李世民さんは持病のせいで暑さに弱いと本人が語ってるけど(〈朕有氣疾、熱便頓劇〉『旧唐書』姚思廉伝)、薛延陀平定後の霊州行幸の際に寒さに体をやられて疲弊した(〈上以幸靈州往還、冒寒疲頓〉『資治通鑑』198)という話もあるので寒さにも弱い。北方の生まれなのに…
薛挙戦で病気になったのは夏なので、即位後に温室育ちになり寒さへの耐性がなくなった説を推します
幼少期はどてら着てる李淵に見守られながら大きい雪だるま作ってる(手伝いは錢九隴がする)

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この蕭瑀は『旧唐書』蕭瑀伝の房玄齢や魏徴の前で李世民さんに「陛下に特別の訓戒を賜り、忠誠も認めていただけました、たとえ死んでも生きているのと同じです!」をかました蕭瑀がモデルです

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李世民さん新暦誕生日おめでとう〜
『旧唐書』太宗本紀上の隋開皇十八年十二月戊午生まれ説を取ると、西暦599/1/23誕なので1424歳
24をラッキーナンバーだと思ってるのでいい数字に見える

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