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房玄齢と李世民は大人と子供、冷静と情熱、静と動…と正反対な印象だけど、根本的な価値観は似ていると思う
二人とも真面目で仕事熱心で能力主義で、他人をそこまで嫌うことがなく、争い事や揉め事を好まない

房玄齢伝にある玄齢の「国家を滅ぼすか、身名をともに滅ぼす(李世民を兄弟殺しの汚名を被せても即位させ天下を安寧に導く)かだ」という言葉が好きなんですが、この「名を棄てて実を取る」価値観が二人に共通しているからこそ李世民も玄齢の献策を受け入れ兄弟殺しの汚名を永久にこうむることになったというのがほんとうにめちゃくちゃ好き
二人が迷走した結果目先の利益のために兄弟殺しが発生したわけじゃなくて、天下の安寧という目的と二人に共通する価値観から弾き出された手段が兄弟殺しだったというのは筋が通っているから
李建成の死が必要悪だったという言い方はしたくないけど、この最悪の手段を選んだ二人が天下安寧のために出来うる限りの努力を果たし、それが貞観の治として結実したというのは、濃い影が落ちているけど同じくらいの光もあると思う

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最近気づいたこと
竇氏が死去したのは涿郡にいた(『新唐書』太穆竇皇后伝)(613年の?)5月(『唐六典』巻4)
李世民は病の竇氏をつきっきりで看病し、竇氏が亡くなると三年(二十七ヶ月)の喪に服した(『冊府元亀』巻27)
楊廣が雁門で突厥に包囲されたのが615年8月。突厥が撤退したのが9月(『隋書』煬帝本紀)。この際に李世民が初陣を経験(『新唐書』太宗本紀)
房玄齢の父の房彦謙が死去したのは615年5月(《唐故徐州都督房公碑》)
玄齢は彦謙を三ヶ月間恭しく看病し、亡くなると過度に喪に服した(『旧唐書』房玄齢伝)
玄齢が自ら李世民を訪ねたのは617年の8月(『資治通鑑』巻184)

この二人の母/父を亡くしたあとの行動は相似なんだなーと思った
父母を愛し傍に侍って看病し深く喪に服し、喪が開けるやいなや世界に飛び出していく感じが
李世民と房玄齢が会ったその日に「一見して旧識の如く」親しんだというのもなにかわかる気がする

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秦王時代の李世民さんは必要があれば体を使うし非合意でも抵抗しないイメージがあるけど、即位後の李世民さんは李世勣が抱きたいと言ってきても朕はもう天子で…そなたにも立場があって…あの頃とは違うんだぞ…!って渋りそう
渋りはするけど秦王の頃よりチョロさに拍車がかかっているので歳をとって真摯になった李勣に絆されてわりとあっさり抱かれてそう

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兵部尚書を拝命して并州から長安に戻って中央の仕事に慣れない時期に李世民さんから「大丈夫?おっぱい揉む?」と聞かれた李世勣がそのまま授乳プレイから李世民さんを抱く展開あると思います
若い頃の李世勣は激情で李世民さんを抱いてそうだけど(非合意)年をとったらきちんと言質を取った上で抱いてそう
というか秦王府時代にそういう過去があったから年取ったあとに紳士的になってるの希望です

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李勣って銘肌鏤骨とか割股(本来は父母の病気が長く治らない際に孝子が体の肉を切り取って煮込んで食べさせたところ、天が孝行に感動して病が癒えたという話)とかを比喩じゃなく実行する男なので李世民から「大丈夫?おっぱい揉む?」って聞かれたら絶対揉むじゃん…

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李世勣が宴席で李世民さんに「李治を託せるのは卿しかいない」と言われ感激して指を噛んで流血して涕泣泥酔し、最終的に李世民さんが上着を脱いで李勣に掛けてあげた事件
世勣が指を噛んだのはテュルク系に見られる忠誠の証明や葬送儀礼として顔の一部を傷つける行為の亜種かなと思っていたけど、最近李勣墓碑に「肌に刻み込むために噛んだ〈便即噛指流血、銘肌為記〉」と書いてあるのを知って最高すぎました
というか銘肌鏤骨(肌に銘キザみ骨に鏤キザむ)って本当に物理的にやることあるんだ
父母からもらった身体髪膚を大切にする国で君主に使命を託された感銘を肌に刻む男というのもいいし、李世民にはこんな重い男が李世民崩御後には則天武后の立后に一役買い(李世民の忠臣にはなっても)後継者である李治、果ては唐王朝の忠臣にはならなかったのもポイント高いです

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高句麗遠征の際に李世民さんが傷付いた兵士を甲斐甲斐しく世話したり傷の手当てをしたという史料から、李世民さんが臣下に膝枕したり授乳したりする世界線は確実に「ある」し、むしろ目の前で泥酔号泣してる李世勣が逆に李世民さんのおっぱいを吸ってないことがあるのか?と思ってます
李世勣李世民はどの世界線でも授乳プレイをする

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尉遅敬徳とか柴紹とか李孝恭とか李淵、最初期に描いたビジュアルが一番好きなのに画力が上がったいまなぜか再現できないから悲しい

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自歴史創作で柴紹、李孝恭、程知節、馬周が若いのに口髭と顎髭を蓄えているのは、各人の史料からの印象と若いころからしっかりしている男性には口髭があった方がいいという趣味です

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魏徴や李世勣は唐に帰順するまで髭もろくに整えてなくてぼさっとしててほしい
なんなら小汚いの希望です
唐に帰順したら若干身綺麗になる

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隋唐もののドラマや小説で李世勣が李世民より年下設定・年下扱いになってるものがどうしても苦手で…
年齢操作パロ年下攻めとして楽しむくらいの心の余裕を持ちたいけど、史実の年上たぶらかし永遠の少年李世民さんと年下君主にメロメロになって李世民相手にはヘタレになっちゃう李世勣が好きすぎて改変で年齢逆転されるの耐えられないんですよね
耐えられないんですよねじゃないよ 広い心を持て

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开创盛世で蕭瑀が河池郡太守に左遷されるところまで来たので蕭瑀李世民描きたい
サイトにあげてるVD蕭瑀李世民漫画いま見返すとかなり恥ずかしいのでリメイクして差し替えようかな

歴史創作开创盛世

自創作で楊廣、頡利可汗、乙失夷男が長髪ウェーブ髪なのは、後者二人は李世民の前に立ちはだかる「外敵」で、前者が「内なる敵」である共通点があるからという裏設定があります

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李世民さんは持病のせいで暑さに弱いと本人が語ってるけど(〈朕有氣疾、熱便頓劇〉『旧唐書』姚思廉伝)、薛延陀平定後の霊州行幸の際に寒さに体をやられて疲弊した(〈上以幸靈州往還、冒寒疲頓〉『資治通鑑』198)という話もあるので寒さにも弱い。北方の生まれなのに…
薛挙戦で病気になったのは夏なので、即位後に温室育ちになり寒さへの耐性がなくなった説を推します
幼少期はどてら着てる李淵に見守られながら大きい雪だるま作ってる(手伝いは錢九隴がする)

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李世民さんのことを聖母でファム・ファタルでオタサーの姫でメsガk(お下品スラングなので伏せ)でオタクに優しいギャルでアイドルだと思っており、実際属性全て回収できるだけのエピソード持ちだし、そもそも李世民さんくらい史料が残ってる人間だといくらでも多面的に解釈できるので、まあこれは全部オタクの発想ですけど~みたいな開き直りもしないままここまで来てしまいました
(マストドンの呟きのリユース)

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この蕭瑀は『旧唐書』蕭瑀伝の房玄齢や魏徴の前で李世民さんに「陛下に特別の訓戒を賜り、忠誠も認めていただけました、たとえ死んでも生きているのと同じです!」をかました蕭瑀がモデルです

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