Tag Archives: 魏徴

幼年李世民

November 30,2023

太宗幼聰睿,玄鑒深遠(…)時人莫能測也。(『舊唐書』太宗本紀) 隋代に沙燕風筝は存在しないと思いますが描きたかったので描きました これはまだラフですが、来年中にこういう絵が30枚くらい詰まった隋末唐初を題材にした歴史創作イラスト集が作れたらいいなという感じです 本がいつ完成するのかは(そもそも完成するのか)わかりませんが、同人誌制作の過程で一枚でもいい絵が描けたらその時点で私の勝ちというゴールポストを設定しております 完成した絵は全部サイトにアップするので見てもらえると嬉しいです 進捗はてがろぐの#威鳳賦タグにまとめています 以下はハロウィン関連の絵▽…

少年李淵、楊廣

October 31,2023

てがろぐに上げてた絵のリメイクとか 少年李淵、楊廣 紹介文は史実6割創作設定4割くらいです 幼少期李淵は厳格な母独孤氏に過度な期待と重圧を寄せられているがあまり意に介していない でも独孤氏が亡くなってからのびのびとして過ごすようになり笑顔が増える という設定があります この頃はまだ人生が楽しくなさそうですが長ずるに及んで倜儻豁達、任性真率、寬仁容眾、無貴賤咸得其歡心(『旧唐書』高祖本紀)になります こういう顔は両親の前ではしませんが李淵の前ではふつうにする 隋唐の建国者(楊堅、李淵)は前髪が奔放なオールバック、二代目(楊廣、李世民)はデコだしハーフアップという共通点があります 魏徴x李世民の概念 元ネタ↓ 魏徴の眼精疲労:晩年目の病にかかっていた(『旧唐書』魏徴伝) 馬の風船:李世民が西域から馬を買おうとして魏徴に怒られた話から(出典同上) 房玄齢と杜如晦が用意する可愛い服:台閣の規模、典章、人物に至るまで玄齢と如晦が定めたという話から(『旧唐書』杜如晦伝) 「李世民が賊を平定するたび房玄齢だけは人材を収集し秦王府へ入幕させた。謀臣猛将と結託し、彼らに死力を尽くさせた」(『旧唐書』房玄齢伝)と「房玄齢と杜如晦は台閣の規模から典章、人物に至るまでを定めた」(杜如晦伝)という話から、玄齢と如晦は臣下のやる気を引き出すために李世民に可愛い衣装を選んで着せているという設定があります 玄齢が選んで如晦が決めます 房謀杜断です…

鈴を付けられる猫李世民と魏徴

May 06,2022

アーカイブに今年描いた絵のログを追加しておきました ここ数年ずっと生産縮小体制ですが歴史創作をやめることは生涯ないと思うので大丈夫です 4月頭くらいにSNS疲れすることがあってPCにも向き合いたくねえ〜って感じでだいぶ絵を描くのサボってたんですが徐々に持ち直してきたのでぼちぼち絵の練習も再開してます 人物紹介の生没年の記述をちょっと直しました 中文wikiや百度百科が出典の場合その旨を明記するようにしています とりあえず生没年と字に関しては出典が正史以外の史料(墓誌など)の場合は出典をつけています この人物の生没年なにを出典にしてるんだっけ?ってすぐ混乱するので 私が… 中文wikiの出典不明生没年情報は信憑性あるのかないのかよくわからない感じですが、人物像をイメージするときの手がかりにわりと活用してます ただ張亮が569年生まれ、侯君集が573年生まれというのはだいぶ信憑性薄だと思います 三月の日記で君集を600年以降生まれと考察していますが、なんとなく張亮と君集は同年代な気がする(張亮の太子詹事抜擢に君集が怒ったという話からして) というか同世代でゴチャゴチャ揉めてほしいので二人は年齢差がそんなにないと嬉しいです 私が…

わからせ貞観政要表紙(李世民、魏徴)

June 30,2021 わからせ貞観政要

数々之を臥内に引き、訪うに政術を以てす。徴、雅より経国の才有り。性又抗直にして、屈撓する所無し。太宗、之と言ふ毎に、未だ嘗て悦ばずんばあらず。徴も亦、知己の主に逢ふを喜び、其の力用を竭くす。(『貞観政要』巻第二 任賢第三) ↑(天子に政道を)わからせるおじさん 六月は私生活がバタバタしていて絵を描く暇もあまりなかったんですが、玄武門の変(旧暦6/4)も唐建国日(新暦6/18)も太原挙兵(新暦6/23)も李淵の忌日(新暦6/25)もスルーしてわからせ貞観政要だけ描きました どういう取捨選択 進徳冠の色は適当です…

隋末唐初の人物の風貌

March 31,2021 隋末唐初の人物の風貌

隋末唐初の人物の風貌についてのメモ 新旧唐書、太平御覧、冊府元亀などから、隋末唐初の人物の風貌に関する記述を集めてみました 隋から唐初の人物の見た目について軽く調べてみると、皇帝は顔が良く、名臣は体格がいいというルッキズムのパターンが存在しているようで、面白かったです 楊廣(隋煬帝)、李淵(唐高祖)、李世民(唐太宗)は全員顔がいい。楊堅も「普六茹堅相貌非常」と言われているので風格のある顔立ちだったと見ていいと思う(同じ『隋書』文帝紀で反相って言われてますが) 体格のいい臣下は、隋では竇栄定(容貌瓌偉)、楊素(容貌雄偉)、郭栄(榮容貌魁岸)、韓擒虎(容貌魁岸、有雄傑之表)、楊玄感(體貌雄偉、美鬚髯)など(いずれも『隋書』より)、唐では裴寂(及長、疎眉目、偉姿容)、劉文静(偉姿儀)、高士廉(姿儀端偉)、李靖(靖姿貌瓌偉)、尉遅敬徳(秀岐嶷之姿)など。親戚筋の韓擒虎と李靖がどちらも体格がいいのは血を感じさせます 楊堅の父楊忠も〈美鬚髯、身長七尺八寸、狀貌瓌偉、武藝絕倫〉(『北史』隋本紀上 隋高祖文帝)とかなりのビジュアルの強さで、そんな楊忠の血を引く楊堅と独孤信の血を引く独孤伽羅が夫婦になった結果、隋皇室の人間が高確率でビジュアルに恵まれているのに気付き、こんなに遺伝子がストレートに受け継がれることあるんだ…と思いました。ダビスタの交配みたい(やったことないけどイマジナリーダビスタがそういうゲームなので…) (追記 22.03.11) 楊堅も体格良かったはずだけど出典なんだっけ…と長らく考えてたけど『資治通鑑』でした 〈太將軍楊堅姿相奇偉。【堅為人龍顏、額有五柱入頂、目光外射、有文在手曰「王」。長上短下、沈深嚴重。】〉(『資治通鑑』巻172) だそうです(【】内は胡三省の注。『隋書』は「五柱」を「玉柱」(額に盛り上がった筋肉があること)としていて、こちらが正しいのではと思う) あと蜀王楊秀は〈有膽氣、容貌瓌偉、美鬚髯〉(『隋書』文四子 庶人秀伝)でやっぱりでかい 気が向いたら文帝の子供まで調べて表に追加しておきます…

2020年版凌煙閣二十四功臣

November 24,2020

いい凌煙閣二十四功臣の日だったので即席で作ったまとめ /// 李世民と凌煙閣二十四功臣の兄弟姉妹をざっと調べたメモ 二十四功臣って長兄率高くない?と思って調べましたが自力で確認できる分では実際高かったです あと世民が一人っ子(?)や長兄の人に懐く率が高いという収穫を得ました 世民、次男坊で下に弟が大勢いて(李淵パパが即位後に大勢の妃嬪を抱えていたので弟妹がたくさんいる)実際には兄属性なのに、持ち前の弟属性で長男・兄属性の功臣に甘えてた節がある あと同母兄弟とは政治的に対立したのに歳の離れた異母弟たちとは関係良好だったで、自分が壊してしまったなにかを埋めようとした結果功臣に甘えたがりになったというより、もともと兄弟と仲良くできる性質だったのではと思います そもそも李建成や李元吉ともものすごく険悪だった雰囲気ではないし丹陽公主(妹)への気遣いとか半端じゃないし…そういう人が血を分けた兄弟を討たざるをえなかったのが悲劇的だけど 李世民は李靖のことを私的な場では兄と呼んで慕っていたらしいですが(『隋唐嘉話』)、おそらく太原で出会った当初からそんな関係性だったんだろうな 李世民さんが兄弟と険悪になったあとで李靖に「薬師殿のことお兄ちゃんって呼んでいい?」とか聞いてたらあまりにもつらすぎる…