Tag Archives: 褚遂良

2020年版凌煙閣二十四功臣

November 24,2020

いい凌煙閣二十四功臣の日だったので即席で作ったまとめ /// 李世民と凌煙閣二十四功臣の兄弟姉妹をざっと調べたメモ 二十四功臣って長兄率高くない?と思って調べましたが自力で確認できる分では実際高かったです あと世民が一人っ子(?)や長兄の人に懐く率が高いという収穫を得ました 世民、次男坊で下に弟が大勢いて(李淵パパが即位後に大勢の妃嬪を抱えていたので弟妹がたくさんいる)実際には兄属性なのに、持ち前の弟属性で長男・兄属性の功臣に甘えてた節がある あと同母兄弟とは政治的に対立したのに歳の離れた異母弟たちとは関係良好だったで、自分が壊してしまったなにかを埋めようとした結果功臣に甘えたがりになったというより、もともと兄弟と仲良くできる性質だったのではと思います そもそも李建成や李元吉ともものすごく険悪だった雰囲気ではないし丹陽公主(妹)への気遣いとか半端じゃないし…そういう人が血を分けた兄弟を討たざるをえなかったのが悲劇的だけど 李世民は李靖のことを私的な場では兄と呼んで慕っていたらしいですが(『隋唐嘉話』)、おそらく太原で出会った当初からそんな関係性だったんだろうな 李世民さんが兄弟と険悪になったあとで李靖に「薬師殿のことお兄ちゃんって呼んでいい?」とか聞いてたらあまりにもつらすぎる…

李世民、褚遂良、虞世南

November 27,2017

『旧唐書』『新唐書』初唐の三大家 初唐の三大家の三人と李世民で色々描きました 欧陽詢先生は顔出しNGキャラです。私の創作は顔出しNGキャラが多いです(ex.李建成、李元吉) 褚遂良も虞世南も被っている冠は風俗考証に沿っていません いちおう褚遂良の冠は進徳冠、虞世南の冠は貂蝉冠をイメージしているけど、そもそも虞世南は侍中を務めた経験がないので貂蝉冠を被る機会はなかった… 冠を被ってる褚遂良の表情が読みにくいところは史実の褚遂良の印象とマッチしている気がして気に入っています 褚遂良って笑わなそうだし何があっても表情変わらなそう。いつも仏頂面してそう 唐の太宗は空前の英明な君主であるが、書の技量においても、古今を通じて第一級である。その上、随臣の中に、いわゆる三大家がいて、初唐は書の最高の隆盛をむかえる。(略) 褚遂良(五九八ー六五八)は、両大家の晩年にようやく壮年に達した、いわば唐代生えぬきの最初の名家である。虞の死後、太宗の顧問となった、その最高の傑作「雁塔聖教序」(六五三)は、欧・虞でさえ夢想しなかったような、全く新しい境地を開拓している。 (伏見冲敬編集『角川書道字典』角川書店、1997) 褚遂良が新境地に達したのが李世民の死後なの、なかなか切なくていいですね…

twitterパロ(李世民)

July 18,2017

漫画の冒頭は『貞観政要』巻六論倹約第十のエピソードを下敷きにしています 〈貞觀二年、公卿奏曰「依《禮》、季夏之月、可以居臺榭。今夏暑未退、秋霖方始、宮中卑濕、請營一閣以居之。」太宗曰「朕有氣疾、豈宜下濕。若遂來請、糜費良多。昔漢文將起露臺、而惜十家之產、朕德不逮於漢帝、而所費過之、豈為人父母之道也?」固請至於再三、竟不許。〉 (『貞観政要』巻六論倹約第十) (訳)貞観二年、公卿が上奏して言った。「《礼記》には「季夏の月は〔暑気を避けて〕臺榭(高台)に居るべきである」とあります。今盛暑が退かないまますでに秋の長雨が始まり、宮中は土地が低くじめじめしております。高台一閣を建ててそこでお過ごしになるべきです。」 李世民は言った。「朕には気病があり、湿気は体に宜しくない。しかし上奏の通りに高台を建てれば多くの経費がかかる。昔、漢の文帝は露台を作ろうとしたが、その費用が〔中流家庭の〕十家分の資産に相当すると知ると、その費用を惜しんで中止した。朕の徳は漢の文帝に遠く及ばないのに、文帝以上に浪費するのは、どうして人の父母の道に沿っていると言えよう。」ついに申し出を許さなかった。 (参考:新釈漢文大系96『貞観政要 下』原田種成著、明治書院 1978) 李世民は度々太極宮は湿気が多く夏場過ごしにくいと口にしていますが、長安は盆地で高温多湿地域のため体感では敦煌より暑かったそうです そりゃ愚痴も言いたくなる…

喜怒哀楽に連動する翼善冠の耳(李世民、長孫皇后、李世勣、褚遂良)

March 27,2017

耳が連動している 喜の元ネタが最高なので書いておきます 貞観二十一年(西暦647年)、李世民は翠微殿へ御幸し、侍臣に訊ねた。 「古の帝王は、中華を平定できても戎・狄を服従させることはできなかった。朕は古人に才能では及ばないが、成功では上回っている。しかし自分ではその理由を知らない。諸公は各々率直に意見を言ってみろ」と。 群臣はみな讃えて言った。 「陛下の功徳が天地に行き渡っているので、万物がその下に入ったのです」と。 李世民は言った。 「そうではない。朕が成功したのには五つの理由がある。 一つに、古来の帝王は己より優秀な者を忌んだが、朕は人の長所を自分のもののように思う。 二つに、人には得意不得意があるが、朕は短所は見ずに長所を取る。 三つに、人主は往々に賢人を出世させれば慕われたいと思い、不肖を退けるときは谷へ落とそうとする。朕は賢者を見れば敬い、不肖の者を見れば憐む。賢人にも不肖にも各々得る場所がある。 四つに、人主の多くが正直者を憎み、陰で誅し公に殺戮することの無い時代はなかったが、朕は即位して以来正直の士と朝廷で肩を並べ、未だかつて一人も責罰を与えた者はいない。 五つに、古来から皆中華を貴び夷狄を卑しく扱うが、朕は一人これを同一に愛する。故にその種落の人間は皆、朕を父母の如く慕うのだ。この五つが朕がこんにち成功した所以だ。」と。 李世民は褚遂良を顧みて言った。 「公はかつて史官を務めていたが、朕の言葉は実を得ているか?」と。 褚遂良は言った。…

『唐會要』より砂糖自作エピ(李世民、李世勣、褚遂良)

July 25,2016 李世民と砂糖

ツイッターで上記の絵と共に 「李世民は持病持ちで『高温多湿の環境は身体に良くない』と本人が言っているのにわざわざ自分で熱のこもる厨房に立って砂糖を作っていたというのが探究心旺盛で面白い」と呟いたところ、枕流亭の管理人様がこのようなツイートを… なんか覚えがあると思ったら、自分も何か書いてた; https://t.co/kkkmAFO1IW https://t.co/4W9Wy2ERZU — NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2016年7月20日 以下枕流亭様の「『天竺熱風録』を読み解く」のページ(http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column14.html)から引用 ▼精糖法について   小説中であまり注目されないかもしれませんが、太宗が精糖法をインドに求めた話は『新唐書』に見えます。太宗が摩伽陀国(マガダ国)に遣使して「熬糖法」を取り、そこで詔を下して揚州からさまざまなサトウキビを上納させ、伝来どおりにやってみましたが、色味ともに西域のものに遠く及ばなかったといいます。   また『続高僧伝』によると、専門の匠二人と僧八人が唐にやってきています。勅命により越州でサトウキビを作らせたところ、成功したといいます。 李世民、西域に製糖法を求めるだけじゃなく、自分で手造りしただけじゃなく、わざわざ大夏の砂糖職人に砂糖を作らせてる… ひ、必死……