September 30,2019

鬼畜玩具箱の朽木諾先生から《淫唐傳》をご恵贈いただきました。whoooo

《淫唐傳》は隋末唐初を舞台にした李世民総受小説。
615年の雁門での初陣後から玄武門の変を経て帝位を得るまでの、李世民の前半生がエロティックに描かれています。
史実をベースに行間を巧みに膨らませていて凄いんですこれが。神創作です。
李世民さんが隋末唐初のファム・ファタルとしての輝いていて最高です。

輝いてる……………………(物理)
豪華な装丁の中でもひときわ表紙の李世民さんが美しいです。鬱血と白濁と玉座が似合う李世民さんlove
表紙からすでにエッチなので研究書風のブックカバーがついています。
写真の影でわかるようにひじょうに分厚いです。なんと27万字440頁あります。
全編通して李世民さんがセクシーで健気で可憐で…愛おしい…

超絶エッチな挿絵もあります。これは私の一押しの尉遅敬徳x李世民さん。
ロリポップはエッチなものの公開制限が厳しいので隠しましたが敬徳の陰毛が濃いのがすごくいいです

朽木先生は李世民総受小説を執筆されている香港の作家さんで、当方も2015年頃からサイトに通っている大ファンです。
私自身は中国語が不得手なこともありサイトにコメント一つ残せないROM専だったのですが、
今年8月にtwitterでバズった当方の呟きをたまたま朽木先生の御友人が目にされ、その方が私のアカウントを朽木先生に紹介してくださったことがきっかけでコンタクトを取らせていただくまでに至りました。
普通こんなことってありますか?ないと思います。奇跡?
蘭亭序を入手した李世民さんと同じくらいの僥倖。
ツイッターのbioに李世民総受と書いていて本当に良かったと思います。

ある日突然届いた「親友が「淫唐傳」と言う小説を是非贈りたいと思っているのでもし興味があれば連絡してくださると幸いです」という朽木先生の御友人からのDMに対し
「元々先生の大ファンだったので観賞用と保存用で二冊購入したい」と無我夢中で返信する私
(ご友人の方が日本語に堪能だったので日本語で返信してます)

このすぐあとに朽木先生と直接DMでやりとりをさせていただき、当方が長年のファンだったことや諸々の感謝の意を伝えることができました。
歴史創作を何年も続けられている原動力の一つが朽木先生の作品群だったので、それを伝えられたのが一番嬉しかったです。
数年間サイトにコメント一つ残せなかったのにDMで直接会話できる感慨深さたるや…。
朽木先生は無償で(!)二冊も同人誌を贈ってくださったのですが、代金を払うと申し出る私に「お金を払う必要はありません。李世民のアートワークをもっと描くだけ」とスマートに対応してくださって本気で頭が下がりました。
一生描き続けます………というか本を作って贈ります、精進します。
李世民総受は最高。

–––
以下恥ずかしいので畳み

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私が隋唐や李世民で創作をはじめたのはまだ高校生の頃で、このサイトも十代の頃に作ったものです。
当時の私は今以上に絵も拙く史料の読み込みも甘く、稚拙な創作物ばかり生み出していました。
何より恥ずかしながら、創作する上で歴史人物への敬意が不足していたと思います。
当時から隋唐代や李世民で創作する人が自分以外に見当たらなかったこともあり、かなり自由気儘にやっていました。

そんな折に出会ったのが朽木先生の《淫唐傳》、sindy迪迪先生の《杨花落,李花开》、《凌烟阁24攻臣》あたりの李世民受小説だったのですが、これが物凄く衝撃で。
もちろん私以外にも隋唐代で創作されている書き手がいる(李世民総受ジャンルが確立している)という事実が嬉しかったのですが、
そのジャンルに史料を読み込んだ上で魅力的な創作をされる作家さんがいること、その方々が私が創作を始める何年も前から重厚な作品を大量に執筆されていること、この二つが自分にとって強烈なインパクトがありました。
自分の好きなものを真摯に、史実の深遠さを損なわず、しかも面白くセクシーに表現されている作品は圧巻でした。
特にこの頃の私は自分の理想とする創作のイメージ像を持たないまま漫然と創作を続けていたので、「自分が描きたいと思う理想の創作像」との出会いはとても大きいものがありました。
「私は歴史をおもちゃとして“消費”するような落書きしかできていないけど、本当は歴史を題材にした“創作”がしたいんだ」ということを自覚したのもこれがきっかけでした。

これ以降、「私以外にも李世民総受を書かれる作家さんがいる」という心強さと、「私も深みのある創作がしたい」という意志が創作の原動力になりました。
資史料を読み込んだり絵や漫画の書き方を練習したり、少しでも良質なものが描けるよう努力を積み重ねていくようになったのもそれからです。
自分自身の楽しさや気楽さより、歴史や歴史創作そのものの面白さを追求する方にシフトチェンジしたんだと思います。
私はあくまで日本で他国の歴史を拝借して創作している身なので、中国史(歴史)そのものを軽々しく扱ってはいけないという自戒も強くなりました。
必然的に歴史や表現について考えることも増え、比例して歴史創作に関して悩むことも増えました。もちろんそれ以上に学びや達成感を得ているので、苦しいけれど有意義な経験をしていると自分では思っています。

で、そういうスタンスを築いてから4年の歳月を経て、自分の創作の根幹を形成してくださった作家さんとコンタクトが取れたのですが、改めて考えるととんでもない奇跡です。
自己研鑽のきっかけをくださった方に作品を見てもらえて、しかもご厚意で本まで頂いて、自分の信念が予期せぬ形で突然報われた感覚があります。
自分が四年前から慢心したままで今よりも絵が下手で勉強不足だったら、ツイートがいくらバズろうとこういう接点は生まれなかったと思います。
なので自分がやり続けていたことが間違いじゃなかったんだと今ようやく実感できています。

隋唐代や李世民さんを好きになって一番変わったのは、他国の文化や歴史を重んじることを常に意識するようになり、歴史のみならず現代の政治について考え、行動を起こせるようになったことです。
ツイッターのフォロワーさんが「推しは生涯学習」という言葉で形容されていたのですが、歴史や歴史人物を通じて何かを学び、その延長線上に生きる人間として何かを生みだしたり実践したりすることは、歴史を学ぶ現代人として価値のある行いだと思います。
それに創作を続けているおかげでネットで多数の尊敬する創作者さんとの縁を得ることもできました。朽木先生含め私の周囲には私以上に教養や見識のある創作者さんが多数おられるので、その方々から勉強させてもらう日々です。
人生にあらゆる糧を与えてくれた李世民さんは凄い。というか李世民総受というジャンルは凄い。
改めて自分の人生に大きな影響を与えてくださった朽木先生と李世民に感謝しています。本当にありがとうございます。
これからも李世民や隋唐代について学びながら、自分なりに真摯に創作していきたいです。
李世民総受はやっぱり最高です(最後にこれが言いたかった)
(長文おわり)