『酉陽雑俎』李世民と魚獲り 唐 段成式『酉陽雑俎』より 李世民と魚獲り 参考:『酉陽雑爼』巻一「忠志 君王の事跡」(段成式撰、今村与志雄訳、東洋文庫 1980) 上嘗觀漁於西宮、見魚躍焉。問其故、漁者曰「此當乳也。」於是中網而止。 (段成式『酉陽雑俎』巻一 忠志) 李世民はあるとき、西宮1唐の国都長安の西にあった弘義宮を指す。武徳五年(西暦622年)に造営され、貞観三年(629年)、名を大安宮と改めた。 で魚獲りを視察した。魚が飛び跳ねたので、その理由を漁師に訪ねた。漁師は答えた。「あれは子を産んでいるのです。」李世民はそれを聞き、魚網を取り止めとした。 1唐の国都長安の西にあった弘義宮を指す。武徳五年(西暦622年)に造営され、貞観三年(629年)、名を大安宮と改めた。
『酉陽雑俎』李世民と魚獲り
唐 段成式『酉陽雑俎』より 李世民と魚獲り
参考:『酉陽雑爼』巻一「忠志 君王の事跡」(段成式撰、今村与志雄訳、東洋文庫 1980)
李世民はあるとき、西宮1唐の国都長安の西にあった弘義宮を指す。武徳五年(西暦622年)に造営され、貞観三年(629年)、名を大安宮と改めた。
で魚獲りを視察した。魚が飛び跳ねたので、その理由を漁師に訪ねた。漁師は答えた。「あれは子を産んでいるのです。」李世民はそれを聞き、魚網を取り止めとした。