『酉陽雑俎』李世民のひげ

唐 段成式『酉陽雑俎』より 李世民のひげ
参考:『酉陽雑爼』巻一「忠志 君王の事跡」(段成式撰、今村与志雄訳、東洋文庫 1980)


 太宗虯鬚、嘗戲張弓掛矢。好用四羽大笴、長常箭。一膚、射洞門闔。
(段成式『酉陽雑俎』巻一 忠志)

李世民は虯鬚の持ち主だった1鬚はほほひげの意。李世民のひげについては杜甫の詩「贈汝陽郡王璡」(仇兆鳌『杜少陵集詳注』巻十六)に、譲皇帝李憲(玄宗皇帝李隆基の兄)の子汝陽郡王李璡の虯鬚を「太宗に似る」とする(「虯鬚似太宗」)。また詩「送重表姪王砅評事便南海」(前掲書二三)では、王砅の家系をのべ、その高祖母が隋の大業の末年に李世民を知っていたとし、当時の李世民を「虬髯十八九」と記している。仇兆鳌は注で太宗の「虬髯」は十八九ではあり得えず、伝承の誤りとしている。宋の銭易の『南部新書』癸にも「太宗の虬鬚には弓がかけられた」という記述がある。
。あるとき、戯れにその巻き毛のひげで弓をはり、矢をつがえた。愛用する四羽の大きな箭の矢で、長さは通常の箭より長かった。一扶2扶または膚。古代の長さの単位で、指四本をならべた長さ。ほどひいて射たところ、門の扉を貫通した。


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    鬚はほほひげの意。李世民のひげについては杜甫の詩「贈汝陽郡王璡」(仇兆鳌『杜少陵集詳注』巻十六)に、譲皇帝李憲(玄宗皇帝李隆基の兄)の子汝陽郡王李璡の虯鬚を「太宗に似る」とする(「虯鬚似太宗」)。また詩「送重表姪王砅評事便南海」(前掲書二三)では、王砅の家系をのべ、その高祖母が隋の大業の末年に李世民を知っていたとし、当時の李世民を「虬髯十八九」と記している。仇兆鳌は注で太宗の「虬髯」は十八九ではあり得えず、伝承の誤りとしている。宋の銭易の『南部新書』癸にも「太宗の虬鬚には弓がかけられた」という記述がある。
  • 2
    扶または膚。古代の長さの単位で、指四本をならべた長さ。