『朝野僉載』李世民の愛鳥

唐 張鷟『朝野僉載』より 李世民の愛鳥


太宗養一白鶻、號曰「將軍」。取鳥常驅至於殿前、然後擊殺、故名「落雁殿」。上恒令送書、從京至東都與魏王、仍取報、日往反數回。亦陸機黃耳之徒歟。
(唐 張鷟『朝野僉載』巻五)

李世民は一羽の白い鶻(ハイタカ)を飼っており、名前を「将軍」といった。鷹狩りの際には常に殿前に獲物の鳥を追いつめ、しかる後に世民がこれを撃ち落とした。故に座殿の名を「落雁殿」と言った。 
李世民は常に将軍を使い書を京師から東都(洛陽)の魏王(李泰)に送った。また将軍はその返事を持ち帰り、日に数回往復することもあった。陸機の黄耳と同じ類いのものである。1西晋の陸機の愛犬。名を黄耳と言い、陸機から甚だ愛されていた。陸機が都に仮住まいしていたとき、長らく故郷の家からの便りが途絶えていた。陸機が笑って「我が家からはすっかり書簡が絶えてしまった。お前は我が家に手紙を届けて、返事を持ち帰ることが出来るか?」と黄耳に語ると、黄耳は尾を振って吠えた。陸機は手紙をしたため、竹筒に入れそれを黄耳の首に掛けてやった。黄耳は道を探すと南へ走り、とうとう家にたどり着き、返事をもらって洛陽に帰って来た。これ以降は、このような手紙のやりとりが常となった。(『晋書』陸機伝)


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    西晋の陸機の愛犬。名を黄耳と言い、陸機から甚だ愛されていた。陸機が都に仮住まいしていたとき、長らく故郷の家からの便りが途絶えていた。陸機が笑って「我が家からはすっかり書簡が絶えてしまった。お前は我が家に手紙を届けて、返事を持ち帰ることが出来るか?」と黄耳に語ると、黄耳は尾を振って吠えた。陸機は手紙をしたため、竹筒に入れそれを黄耳の首に掛けてやった。黄耳は道を探すと南へ走り、とうとう家にたどり着き、返事をもらって洛陽に帰って来た。これ以降は、このような手紙のやりとりが常となった。(『晋書』陸機伝)