『夢渓筆談』十八学士姓名考

北宋 沈括『夢渓筆談』より 秦王府十八学士の姓名についての議論
参考:『夢渓筆談』巻一(沈括著、梅原郁訳注、平凡社 1978)


餘家有閻博陵畫唐秦府十八學士、各有真贊、亦唐人書、多與舊史不同。姚柬字思廉、舊史乃姚思廉字簡之。蘇臺、陸元朗、薛莊、《唐書》皆以字為名。李玄道、蓋文達、於志寧、許敬宗、劉教孫、蔡允恭、《唐書》皆不書字。房玄齡字喬年、《唐書》乃房喬字玄齡。孔穎達字穎達、《唐書》字仲達。蘇典簽名旭、《唐書》乃勖。許敬宗、薛莊官皆直記室、《唐書》乃攝記室。蓋《唐書》成於後人之手、所傳容有訛謬、此乃當時所記也。以舊史考之、魏鄭公對太宗云、「目如懸鈴者佳。」則玄齡果名、非字也。然蘇世長、太宗召對玄武門、問云「卿何名長意短?」後乃為學士、似為學士時、方更名耳。(《『夢溪筆談』巻三 辨證一)

私の家には閻博陵(閻立本)1閻立本。初唐の傑出した画家。博陵県公に封ぜられていたため閻博陵と呼ばれる。その画風を伝える『歴代帝王図巻』(ボストン美術館所蔵)が有名。の描いた《秦府十八學士圖》2太宗は秦王時代、文学館学士に任じた十八人の文人を礼遇し、武徳九年(西暦626年)に閻立本に命じて《秦王府十八学士写真圖》を描かせた。学士である褚亮がこの絵に付けた賛を《秦府十八學士賛》という。
がある。それぞれに楷書の賛があり、唐人の書跡であるが、『舊史』(舊唐書)3後晋で編纂された『舊唐書』を指す。と違っているところが多い。
姚束、字は思廉は、『舊史』では名前を姚思廉とし、字を簡之とする。
蘇台、陸元朗、薛荘は『唐書』では皆字を名(諱)とする。
李玄道、蓋文達、於志寧、許敬宗、劉教孫、蔡允恭は、『唐書』には字が記されていない。
房玄齢、字は喬年は、『唐書』には房喬、字は玄齢とある。孔穎達、字は穎達は、『唐書』では字を仲達とする。蘇典簽の名は旭だが、『唐書』では勖とする。許敬宗、薛荘の官職は皆直記室だが、『唐書』には攝記室とある。つまり、『唐書』は後代の人によって成立したものであり、伝に訛謬があるのだろう。こちらはまさにその当時の記録である。
『舊史』によって考ると、魏鄭公は太宗に対し「鈴を懸けたような目の者が宜しい」4懸鈴と玄齢が対応しているが、この説話は『舊唐書』には見られない。北宋の黄朝英は『緗素雑記』巻九「房喬」のなかでこの説を考証し沈括の説を否定している。唐初の人物の諱と字については考察が多く存在し、房玄齢に限っても張淏『雲谷雑記』巻二、『容斎四筆』巻十三などに議論が展開されている。
と言った。つまり玄齢は名であり、字ではない。しかし蘇世長は、太宗(注:原文は太宗だが高祖の誤り)に玄武門に召し出された際、「卿は名は長なのに意(考え)は短い(浅はか)なのか?」と問われている。後に秦王府の学士となったが、学士となった際に、名を改めたのではないか。


姓名『舊唐書』列伝『新唐書』列伝『夢溪筆談』引《秦府十八學士圖賛》その他
杜如晦諱:如晦 字:克明諱:如晦 字:克明
房玄齢諱:喬  字:玄齢諱:玄齢 字:喬諱:玄齢 字:喬年(『新唐書』宰相世系表)諱:玄齢 字:喬松
于志寧諱:志寧 字:仲謐諱:志寧 字:仲謐
蘇世長諱:世長 字:―諱:世長 字:―諱:台  字:世長
薛収諱:収  字:伯褒諱:収  字:伯褒
褚亮諱:亮  字:希明諱:亮  字:希明
姚思廉諱:思廉 字:簡之諱:簡  字:思廉諱:束  字:思廉
陸徳明諱:徳明 字:―諱:元朗 字:徳明諱:元朗 字:―
孔穎達諱:穎達 字:仲達諱:穎達 字:沖達諱:穎達 字:穎達(『新唐書』宰相世系表)諱:穎達 字:冲達
(《孔穎達碑》)諱:穎達 字:衝遠
李玄道諱:玄道 字:―諱:玄道 字:―(《李玄道墓誌》)諱:玄道 字:元易
李守素諱:守素 字:―諱:守素 字:―
虞世南諱:世南 字:伯施諱:世南 字:伯施
蔡允恭諱:允恭 字:―諱:允恭 字:―
顔相時諱:相時 字:―諱:相時 字:睿
許敬宗諱:敬宗 字:―諱:敬宗 字:延族
薛元敬諱:元敬 字:―諱:元敬 字:―諱:荘  字:元敬
蓋文達諱:文達 字:―諱:文達 字:―(《唐太傅蓋公墓碑》)諱:文達 字:藝成
蘇勗諱:勗 字:―諱:勗 字:慎行諱:旭  字:―
劉孝孫諱:孝孫 字:―諱:孝孫 字:―

  • 1
    閻立本。初唐の傑出した画家。博陵県公に封ぜられていたため閻博陵と呼ばれる。その画風を伝える『歴代帝王図巻』(ボストン美術館所蔵)が有名。
  • 2
    太宗は秦王時代、文学館学士に任じた十八人の文人を礼遇し、武徳九年(西暦626年)に閻立本に命じて《秦王府十八学士写真圖》を描かせた。学士である褚亮がこの絵に付けた賛を《秦府十八學士賛》という。
  • 3
    後晋で編纂された『舊唐書』を指す。
  • 4
    懸鈴と玄齢が対応しているが、この説話は『舊唐書』には見られない。北宋の黄朝英は『緗素雑記』巻九「房喬」のなかでこの説を考証し沈括の説を否定している。唐初の人物の諱と字については考察が多く存在し、房玄齢に限っても張淏『雲谷雑記』巻二、『容斎四筆』巻十三などに議論が展開されている。