『隋唐嘉話』楊廣と李淵 唐劉餗『隋唐嘉話』より 楊廣と李淵 煬帝宴群臣、以唐高祖面皺、呼為「阿婆」。高祖歸、不悅、以語竇后、后日「此吉兆。公封於唐、唐者堂也、阿婆即是堂主。」高祖大悅。 (劉餗『隋唐嘉話』補遺) 煬帝(楊廣)は群臣と宴をしていた際、李淵の顔の皺を以て「阿婆」1老年の女性に対する敬称。また母親への呼称にも使われる。と呼んだ。 李淵は帰宅すると、不快であったことを妻である竇氏(後の太穆竇皇后)に語った。 竇氏は言った。「これは吉兆です。公は唐国に封ぜられており、唐は堂に通じます。『阿婆』とは即ち堂主のことです。」 李淵は大いに喜んだ。 1老年の女性に対する敬称。また母親への呼称にも使われる。
『隋唐嘉話』楊廣と李淵
唐劉餗『隋唐嘉話』より 楊廣と李淵
煬帝(楊廣)は群臣と宴をしていた際、李淵の顔の皺を以て「阿婆」1老年の女性に対する敬称。また母親への呼称にも使われる。と呼んだ。
李淵は帰宅すると、不快であったことを妻である竇氏(後の太穆竇皇后)に語った。
竇氏は言った。「これは吉兆です。公は唐国に封ぜられており、唐は堂に通じます。『阿婆』とは即ち堂主のことです。」
李淵は大いに喜んだ。