『隋唐嘉話』宇文士及のごまかし

唐 劉餗『隋唐嘉話』より宇文士及のごまかし
参考:『酉陽雑爼』巻四「貶誤 誤用をたどる」(段成式撰、今村与志雄訳、東洋文庫 1980)


太宗使宇文士及割肉、以餅拭手、帝屢目焉、士及佯為不悟、更徐拭而便啗之。
(劉餗『隋唐嘉話』巻上)

太宗(李世民)はあるとき、宇文士及に肉を割かせた。士及が餅で手を拭いたので、太宗は様子を注視した。士及は気付かない振りをして、またゆっくりと餅で手を拭うと、その餅を食べてしまった。

相傳雲、德宗幸東宮、太子親割羊脾、水澤手、因以餅潔之。太子覺上色動、乃徐卷而食。司空贊皇公著『次柳氏舊聞』又雲是肅宗。劉餗『傳記』雲「太宗使宇文士及割肉、以餅拭手。上屢目之、士及佯不寤、徐卷而啖。」
(段成式『酉陽雑俎』続集巻四 貶誤)

言い伝えによると、徳宗(李适)が東宮に行幸した際、太子(後の順宗、李誦)は自ら羊の脾を割いたが、水で手が濡れたしまったので、餅で拭いて綺麗にした。太子は帝の顔色が変わったのに気付き、徐にその餅を巻いて食べた。
しかし司空贊皇公(李徳裕)の記す『次柳氏舊聞』では、この出来事を粛宗(李璵)のこととする。また劉餗の『伝記』(『隋唐嘉話』)には、「太宗は宇文士及に肉を割かせた。宇文士及が餅で手を拭くので、帝は様子を注目した1太子が肉を割いて手が脂で汚れ、餅でそれを拭く。皇帝がそれを見て食べ物の浪費だと不快に思う。それを察して手を拭いた餅を食べ、皇帝の機嫌がなおる。この型の説話は隋唐代の野史によくみられるとされる。兪正燮は『癸已類稿』十三「書朝野僉載後」に、この型の説話を収録している。
『柳氏史』(『太平広記』巻一六五引)には「粛宗は太子であったとき、かつて帝の食事に侍した。尚食が肉料理を運んできた。羊の脾肉があり、帝は太子の方を見て割かせた。粛宗は肉を割き終わると、手が脂で汚れてしまったので、餅でこれを綺麗にした。帝はつくづく注視し不興気であった。粛宗はこれに気付くと、餅を取り上げてすっかり食べてしまった。帝は大変喜び、太子に『福はそのように大切にすべきだ』と言った。」とある。
『周書』巻十八 王羆伝には「王羆は倹約を重んじ体制を飾らなかった。あるとき朝廷から使者が来たので、羆はそのため食事を用意した。使者はその薄い餅の縁を割いた。羆は『耕し、植え、取り入れ、その仕事は相当なものの筈だ。さらについて、炊き、少なからず労力を用いている。ところが卿が選ぶところをみると、空腹ではないのだろう。』と言い、左右に命じて食事を取りやめさせた。使者は愕然として慚愧した。」とある。
。宇文士及は気が付かないふりをして、その餅を巻いて食べてしまった。」とある。


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    太子が肉を割いて手が脂で汚れ、餅でそれを拭く。皇帝がそれを見て食べ物の浪費だと不快に思う。それを察して手を拭いた餅を食べ、皇帝の機嫌がなおる。この型の説話は隋唐代の野史によくみられるとされる。兪正燮は『癸已類稿』十三「書朝野僉載後」に、この型の説話を収録している。
    『柳氏史』(『太平広記』巻一六五引)には「粛宗は太子であったとき、かつて帝の食事に侍した。尚食が肉料理を運んできた。羊の脾肉があり、帝は太子の方を見て割かせた。粛宗は肉を割き終わると、手が脂で汚れてしまったので、餅でこれを綺麗にした。帝はつくづく注視し不興気であった。粛宗はこれに気付くと、餅を取り上げてすっかり食べてしまった。帝は大変喜び、太子に『福はそのように大切にすべきだ』と言った。」とある。
    『周書』巻十八 王羆伝には「王羆は倹約を重んじ体制を飾らなかった。あるとき朝廷から使者が来たので、羆はそのため食事を用意した。使者はその薄い餅の縁を割いた。羆は『耕し、植え、取り入れ、その仕事は相当なものの筈だ。さらについて、炊き、少なからず労力を用いている。ところが卿が選ぶところをみると、空腹ではないのだろう。』と言い、左右に命じて食事を取りやめさせた。使者は愕然として慚愧した。」とある。