January 18,2018

〈太宗新たに位に即き、精を政道に励まし、たびたび徴を引いて臥内に入れ訪(と)うに得失を以てす。
徴雅(つね)より経国の才有り、性又抗直にして、屈撓する所無し。
太宗、之と言う、未だ嘗て悦ばずんばあらず。徴も亦知己の主に逢うを喜び、其の力用を竭(つ)くし、知りて言わざるは無し。〉
(『旧唐書』列伝第二十一 魏徴)

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「訪(と)うに得失を以てす」「性又抗直にして、屈撓する所無し」、李世民は寝室で自分の過失や良かったことについて尋ね、魏徴は李世民に面折してはっきりと欠点を指摘した、という意味なのでこの絵とは若干趣きが異なりますが…
でも『貞観政要』などを読むとこの二人はわりとほのぼのした政治問答してるときも多いですよね

ところで『旧唐書』房玄齢伝の〈玄齡既遇知己、罄竭心力、知無不為。〉と同書魏徴伝の〈徵亦喜逢知己之主、思竭其用、知無不言。〉の記述が対になってることにある日ふと気が付きました
知己(李世民)と出会い心力を尽くし知りて為さざる無きの玄齢と、知己との出逢いを喜び知りて言わざる無きの魏徴
正史のこの記述はともに『貞観政要』巻二の〈玄齡既喜遇知己、遂罄竭心力。〉〈徴亦喜逢知己之主、竭其力用〉をほぼ移植しており、玄齢と魏徴が各々自分の本領で李世民を支えていたとする認識は貞観以降早期、あるいは李世民と同時代の人間にも共有されていたのかもしれません